
秋の蝶友を求めて一羽飛ぶ
盛岡をまた訪ねむや秋の薔薇
薔薇の花夏の名残に赤く咲く秋風吹きてこの道通ふ
夏過ぎて秋となれるや赤き薔薇虫の音聞きつここに咲くかな
我が町に一時ありし旅人のいづこに行きし秋風の吹く
最近また遠くに行けない、これだけ旅していると常時旅になってしまっていた。しかし今や家事とか雑事に追われる。家族で認知症をかかえてからなにやかにやと追われる日々だった。問題のある人を家族でかかえるといかに大変かわかった。一人でも介護であれ非行する子供であれ家族でそういう問題児であれかかえれば大変なことになる。すべてその人に労力が費やされる悲劇があるのだ。
停まる駅コンパ-トメントや秋の薔薇
やはりヨ-ロッパは歴史があるから情緒がある。列車のコンパ-トメントはやはり贅沢であり生活の余裕を感じる。ただ外国旅行は楽しめない、苦行だった。食事も満足なものができない、安宿旅行でもありいろいろ失敗が多すぎた。これも自分のだらしなさからでありどうにもならない、今や外国旅行はできないのかもしれない、この狭い領域に閉ざされた生活となった。一時我が町によった寄った旅人はどこに行きどうしているのだろう。自分も常に旅人であったが旅はただ思い出すだけとなってしまった。
盛岡は前も書いたが秋の薔薇がにあう街である。古い城跡もあり秋がいいのかもしれない、
60代はまだ秋の薔薇なのかもしれない、70代になると冬の薔薇になってしまう。ともかく夏の薔薇の時代は終わった。秋の薔薇にひかれるのも年なのである。