2009年09月28日

彼岸(携帯で墓参り?)


携帯でともに祈れる彼岸かな


南相馬市の原町区だと車がないとなかなか墓参りに行けない、90歳以上とかなると墓参りもできなくなる。そこで墓から携帯で連絡して今お参りしているから一緒に祈れよと連絡した。こんなとき現場の画像も送れればいいがむずかしいことはできない、なんとか音声で通じているだけである。携帯の便利さはやはりどこでも連絡できる、現場から連絡できることである。これが便利だから携帯は必須のものとなった。携帯を使い始めたのは介護をはじめてからでありまだ4年にもなっていない、あまり必要性を感じなかった。でも今や仕事では必需品でありあらゆる分野で不可欠のものとなった。携帯も現場からリアルタイムで交信できることなのだ。今ここにいるよ、墓にいるよというとき相手にもテレパシ-で本当に交信できる感じになる。代理で墓参りしているのだがテレパシ-で祈りが通じてくる。電話とかインタ-ネットとか無線でもそもそも人間のテレパシ-を科学で具体化したものである。墓の死者とも携帯で遠くから祈ることができる。インタ-ネットの中にも墓があり祈っている。でもやはり誰かが現場にいて携帯で連絡して祈る、その時一緒に祈ったことにな。墓は一人でお参りするのが良くないのだ。携帯を使いば二人で祈ることができたかもしれない、墓もインタ-ネットでは臨場感がない、でも一人が墓の上にいて携帯で連絡して祈りする、これなら遠隔でもできるかもしれない、これも現代ならではのお参りの仕方かもしれん・・・・科学はなんとも変なありえない体験をすることになる。

 
90で携帯を使用した老人もいた。長生きすることはこれからでも科学は発展するからありえないことを体験する。それも長生きすることでできるから長生きがすべて悪いとはならない、ただボケてしまったらそういう体験すらできない、テレビをつけることすらできなくなる。機械の操作はできなくなるからだ。ボケにならなければ
90からでも新しい体験できるのだ。
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