認知症対策に必要な力
認知症に危険な家族
認知症理解されじや凍る雪
認知症は単なるボケとは全然違う、ものすごく質の悪い精神の病気なのだ。その始まり今したことを全く忘れてしまうことである。なぜ探し物ばかりしているのか、今何を置いて何をとったかも次々にまるっきり忘れるから、あれさっき置いたものどこにいったとか、カバンの中味もしまってもどこにしまったかもその瞬間瞬間でまるっきり忘れるから毎日探しているのだ。ここが最初の病気の始まりでありここからいらいらして相手が盗ったか一番身近なものに当たるのである。だから対処方法は一緒に探し物をするほかないのだ。すると一日探し物を手伝うことにもなるから大変なのである。
この瞬間瞬間でまるっきり忘れることから波及して様々な問題行動を起こすのだ。そもそも瞬間瞬間に自分のしたことを忘れるとなるとこれは当人にとってはとんでもない刑罰を受けているようなものになる。脳の細胞が破壊され結果として探し物に追われる、地獄の世界に落とされているのだ。まるで人間に与えられた恐ろしい刑罰のような感さえある。なぜ神はこんな酷い仕打ちを人間にするのだろうか?こういうなんとも重い疑問と課題がつきつけられているのだ。
シシィフスは自分の欲しいものを手に入れようとして神々をだましたため、刑罰を受けました。その刑罰というのは、大きな岩石を丘の上まで運んでいくというものです。苦労して丘の上まで着くと、その石は坂を転がってもとのところに戻ります。それを再び丘の上まで運びと、また岩は坂を転がり落ちていくのです。シシィフスは、運んでは転がり落ちる岩を丘の上に運ぶという仕事を未来永劫、永遠に繰り返すのです。これが神々からの刑罰でした。
これと同じように無意味なことをつづけさせられるしこれは回りのものもまきこむからもっとひどいのだ。地獄の刑罰なのである。なぜそういう刑罰が人間に課せられたのか?これは高齢化社会の現代的課題としてつきつけられたのだ。
こんな病気があること自体まだまだ回りでは理解されないのである。ところが高齢化社会はこうした痴呆症の人を地域でも家族でもかかえこむことになる。これは自分一人の問題ではない、社会的問題なのだ。自分の場合、親戚などもないから一人でなんとか今の所は看護しているがこれは家族だけでも対応しきれない問題である。そして老夫婦だけとか一人暮しの老人とか核家族でこうした老人が回りをみただけで多いし親と別々に暮らして親をかまわない娘息子夫婦が多いのである。親戚を見回しても親とは別々に暮らしている。そして親をかまわないのが多いのだ。
こういうのはボケになるというがすると膨大な認知症の老人を社会がかかえこむことになる。そして家庭でも対応できなくなるし社会でも対応できなくなり悲劇が生まれてくる。今回りを見回してこんなに認知症予備軍がいることにぞっとしたのだ。あと10年で回りにそうした80以上の人がいてどうなるのだろうかとか恐ろしくなってしまったのだ。これは社会で協力しなければどうにもならない、だから実際は認知症の人がどういものかなった家族を知るべきでありそれを参考にして予防策をとる必要があるのだ。つまりこれは自分だけにふりかかった災難ではない、みんなふりかかる災難の介護地獄がやってくるから実際は無関心ではいらなれない協力体制をつくっておかないと大変なことになる病気なのである。