2009年09月08日

老人に死者に敬意もてないことの不幸


老人に死者に敬意もてないことの不幸


●家に入る労働はまず祀られている人に敬意を払う

 
人間敬意を持つというとはどういうことなのか?老人に敬意をもって接しなさい、老人を敬いなさいとう言われても若者は敬意をもちえない、むしろ老人を軽蔑するさげすむ心でみちみちている。「こんな老人何が価値があるのだ、生きている価値がない、死んだ方が世のため」とか思っている若者が多い、老人に対する敬意はもはや喪失した。ましてや認知症の人への敬意となるとほんとんどもちえないだろう。相手は単なる痴呆であり馬鹿でしかない、そんなものに敬意がはらえるのかとなる。老人へ敬意は今もあるが過去に根ざしている。過去に何をしたかにある。それで価値が決められる。だから認知症の人にも過去に価値があるとすれば過去に社会のために尽くした人ですよと言われれば価値ある人と認識するだろう。過去が価値であるとするときそれは歴史が個々人にありその歴史的価値を認識することなのだ。そして気づいたことは家族には必ず死んだ人がいる。仏壇に死んだ人が祀られている。最近死んだ人もあり遠い過去に死んだ人もいる。その人たちへの敬意をはらうことが家族で行われているか、仏壇に花をささげ供え物をささげることもそうだがその祀られている死者を語る、死者が何をした人なのか、ただ死者なるが故に祀られのか?死者だから誰でもおそれられ敬意がはらわれるのか?そうはならない、死者もみんな敬われるとは限らない、家族でも何ら家族に貢献しない、迷惑ばかりかけた人を親や祖先を敬うことはできない、そして家族には必ず親がいて祖父母がいて先祖がいる。家族とは今だけではない歴史的継続としての価値をになっているのだ。だから死んだ人に敬意をはらえないとしたらやはりその家族は大きなもの欠けたことになる。それは日本の歴史にも言える。日本の歴史を否定的にばかりとらえたら日本人としての誇りも失いアイディンティティも失い愛国心もなくなり日本国自体なりたたなくなる。


●家族も死んだ人、祀られた人の敬意がないと成り立たない

家族もそうだった。まず親への祖父母への敬意がないとしたら家族というのは成り立たない、死んだとしてもそうである。それで手伝いさんとか家に入ってきたとき、他の仕事の人でも家に入るとき仏壇に霊前に祈り仕事をする、それはとりもなおさずその家の死んだ人に敬意をはらい仕事をする、敬意は意外と大事なものである。敬意がないと仕事として成り立たないかもしれない、現実は賃金労働者でありお手伝いさんでも掃除であれ、洗濯であれ、これをしたからいくらもらえる、金をもらえればいいとして働いているのが普通かもしれない、ところが家のことになると仏壇に花をささげることをしてもらうことがある。その時ただ花をささげることを命じられたからやる、金をもらっているからやるというだけではその労働の価値はでてこない、つまりその死んだ人の遺影に花をささげているのだから死んだ人に多少知らないと敬意をはらわないとできない、それで死んだ人は父母を特別思っている女性でしたとか何かその人の話をする、それで多少その死んだ人につい知り敬意を払うかもしれない、それはまず今生きている家族が死んだ人に対して敬意を払っていなければできない、でもお手伝いさんがその家の祖先とかに敬意を払うのはむずかしいかもしれない、でもお手伝いさんの仕事はその家の中に入ってくる仕事は他の仕事と違ってくる。遺影に花をささげてもらうこと自体、死んだ人に敬意を示す供養することになるからだ。
 

●死者に敬意がもてないことは深刻
仕事というとき金になればいい、それも高ければ価値があるというのが一般的だが介護分野などでは世話をする介護する老人に敬意をもてないとその労働自体苦痛になるだろう。そのことがまた普通の労働とは違う、直接人と人が向き合う仕事だからそうなる。一般的に労働は金になればいい、金が多く得られれば価値があり少なければ価値がない、敬意などと関係していない、でも天皇に使える人々がいる、その人たちが天皇に対して敬意をもっていないとしたらその仕事に精をだせるだろうか?金が高いというだけでモチベ-ションが保てるだろうか、ここに仕事のむずかしさがある、自分は死んだ人に対して家族でも敬意をもっている、最後は認知症という無惨な結果になったが家に尽くしてくれた女性だったことは変わらないしその価値は死んでも継続されるから他人にも語る。死んだ人に対して敬意をもてないことはかなり深刻なのである。それが戦死者、靖国問題として解決しない問題としてある。一方では無駄死にとか言え、一方では英霊となりその価値観が極端すぎるからだ。一方ではただ迷惑かけただけの祖先となり一方は神ともなる英霊となるのだからこの価値観は余りにも極端だからまたとまどうのである。つまり日本人が戦死者に対して心からの敬意をはらえないことに最大の問題があるのだ。敬意をもてないことが根本的な問題としてある。それほど敬意というのは人間を左右する。人間がただ金という実利だけで動かされるときそこに価値を見いだすことはできない、先に金でありあとにそうした精神的価値がでてくるものだともなるが最初にそうした敬意がなければ実利もともなわない、人間があることにたいして人に対して敬意をもちえないことは精神的価値も受け継がないことになる。精神的価値は過去の人々によって作られたのでありそれが歴史だからである。現代の深刻な問題は老人に対して敬意がもてないことにあったのだ。だから老人はただ金だけもっていて若者は損しているとか老人に対して金だけで価値が計られる。逆に老人も金をもっていなけれは若者に全く相手にされない、弱者とされて虐待もされるとかいう時代になっているのである。老人に対して敬意など微塵もありません、ただ老人の遺産は金は欲しいですとだけなっているとしたらこれは老人にとって最高に不幸なことである。でも実際そう扱われている老人が多いのである。無益な老人は早く死んでくれ、金だけは残して死んでくれと親でも接しているのが多いのが現状なのである。
posted by 老鶯 at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題
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