2009年08月21日

花と蟻


今日もまた花を這い歩く蟻あまた払いのけることもならじも

 
庭の花に蟻が毎日のように這い歩く、ぞろぞろ花の中をせわしく歩きまわる、蟻には花の美は関係ない、蟻は働くことしか能がない、何のために働くのか?そんなこと考えたら行動しなくなる、働かなくなる。やみくもに働いている人は働くために働いている。この世の中働かないで生きていられるのか?この世の価値はすべて働くことにある。蟻にとっては働くこと自体が目的なのである。蟻が休んでいることはありえない、休んでいれば蟻の仲間から追放だろう。戦前から戦後まもなくのモノのない時代は働くもの食うべからず、働かねば明日食うにも困る。現実、モノはばら売りである。米さえ毎日食べる米一升とかをばら売りで買ってその日暮らしである。家賃すら日払いとなるからいかにその日暮らしの収入しかないかわかる。庶民は江戸時代からそんな暮らしである。そんな暮らしがよく成り立っていたと今なら不思議である。今は貯えがないとたちまち何かあれば路頭に迷う、生活に金をかけすぎているからである。江戸時代に家事が頻繁に会っても庶民は困らない、焼け出されても家財道具もなにもない、家は長屋であり焼けても何の損失もない、かえって家事になり家が建つから景気よくなったとかいうからこれも今のようなあまりにもモノを持っている時代からすると考えられない気楽さだとなる。
 
現代は健康保険から介護保険から災害の保険にも入らねばならない、出費が多すぎるのだ。だから貧乏な時代より過労死するまで働いているという矛盾がある。昔の大工の仕事は午後二時で終わってあとは遊んでいたというが今は夜勤もあり毎日は働きづめでありあらゆる人が労働に追われている。夫婦で働き子育ても夫婦で行い、夫は家事までするのが普通でありみんな忙しいのである。自分はそんな生活をしたことがなかったが今や同じだ。買物にしても結構毎日大変なのである。家事は結構コツを飲み込むまで時間がかかる、もちろん料理なども一朝一夕にできない、長い時間がかかるのだ。三食用意するだけでも結構時間がかかる、追われるのである。


 つまり文明は人間を楽にしなかった。便利さをも求めてさらに不便で過重な労働を強いられ四苦八苦しているのが現状である。便利さを求めれば求めるほど忙しくなるという皮肉がある。
インタ-ネットでも便利だがこれも情報過剰になり検索に時間がかかり忙しくさせる。人間にとって暇な時間、スコ-レは一番貴重だとギリシャの哲学者が言った。つくづく今やそうだ。なんとか花を見る余裕はあるにしても自分も今やゾロゾロ黒々と這って歩く蟻の一員にさせられたのである。花にとって蟻は迷惑にしても蟻をはらのけることはできない、花より蟻の方が価値あるとみるのが社会である。それが無益な労働としても蟻を払いのけることはできない、実際は花を見て花の美を称賛する人が価値あるべきなのだがそうはなっていない、そういう人は無用の人とされるのが現実なのである。

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