2006年02月03日

風花(認知症の世話の限界点

窓の外に風花舞いて朝静か認知症なき家の安らぎ

認知症をかかえこんだ家族は悲劇である。これまでいろいろ認知症でもなんとか心を通じ合わせようと暴力は一切ふるわないしやさしく接してきたがそれも限界点に達してしまった。自分のような家ではこの認知症の人をかかえこむことができない、これは大家族だったらなんとかおさえこもめる。認知症でも回りでおさえこめるのだ。それが一対一とかになるともろにその攻撃を受けるから耐えられる無くなるのだ。だから認知症はなんらか外部の力をとりこんだり外部的強制力が必要なのである。家族だけでかかえんこんで解決はできない、特に核家族とかしている現代ではむずかしいのだ。ただこれも家庭家庭によって事情が違うからいちがいにはいえない、はっきりいって自分の懸命の対応も限界点に達してしまったのだ。

この認知症対策の一番大事なことは世話する家族を休ませることが大事なのである。家族はノイロ-ゼになり睡眠薬飲んだりしてやっとしのいでいる。一日だけ留守にしただけで家が天国のように思えた。普通の日常感覚の生活がこれほど平和なのかと思えてしまうのが認知症をかかえた家族なのである。しかしまた悪夢やってくる。たった一日でまた帰ってくるのだからまた地獄へ逆もどりであるが自分はなんらか限界点に達してしまったのだ。
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