2009年08月11日

何故この世に不条理な理不尽な事件があるのか(死者の怨念の恐ろしさ)?


何故この世に不条理な理不尽な事件があるのか(死者の怨念の恐ろしさ)?

 
●縁もゆかりもない人を最も憎むようになるのはなぜ?
 
この世の中にはなぜかわからない不条理な理不尽な事件が起きる。例えばタクシ-強盗とか何万円の金で殺されたり他にもわずかな金で殺されたりする。通り魔のような事件もありなぜそんな事件に巻き込まれたのか、被害者はどう考えても納得いかないだろう。自分には何の責任もない、なぜそれなのにこんな理不尽なことで甚大な被害を受けるのかと自問自答する。これが宇宙から隕石でもふってきて死んだなら恨みようがない、しかし現実に特定のなんの縁もゆかりもない人に襲われて死んだらどうしてそんなひどい目に自分が自分の家族があわなければならないのかと考え込んでしまうだろ。自分には何ら責任はないのに関係ないのに殺されるまでになるからだ。もしなんらか責められる因縁があればしかたがないのに全くないのにそんなひどい事件に巻き込まれるからどうしてだろうと考えても納得できないのである。そしてどうしてもそんなひどいことをした人を憎み呪い絶対に死刑にしてもらいたいと被害者の家族はなってしまうのだ。被害を与えた人はそもそも何の縁もゆかりもない人だったがその時点で最も憎む人となってしまったのである。なぜその人を憎むようになったのか、それはあまりにも理不尽な甚大な被害にあったからである。だから何の縁もゆかりもない人でもその時、その憎む相手は最も頭から離れられない人となってしまった。最も憎むべき存在として頭から離れられない、どんなに冷静になってもその憎しみは消えないのだ。それは余りにも理不尽なこ被害を受けたからそうなる。
 
●怨念が死後も残り誰かを通して憎むようにさせる
 

こういうことを身内のいざこざで経験したから一体これは何なのだろうと考えるようになった。殺人強盗でないにしろ親戚であった人からこんな仕打ちを受けるのはなぜなのだろうと考え込んでしまった。どうしてもその人を憎むし呪うのだ。それほどひどい仕打ちをされたからである。強盗殺人ではないにしろそれとにた仕打ちである。そんな人とは思いもよらなかった。でもこれは全く自分と関係ないとは言えないことだったから全くの他者からの仕打ちではない、でも前の代のいざこざに争いに根がある。それはすでに30年以上の前の争いでありそれに自分は関係していない、ただ親が関係していた。それがなぜ今自分にその争いのことをこうすれば良かった、争う必要はなかったとかしきりに関係ないと思った争いを考える、それもすでに30年前のことであり過ぎ去った関係ないことだと思っていたがその争いのことが自分の責任のようにのしかかってきたのである。なぜ自分がその人を憎むかというと呪うのがとめられないかというとそうしむけた人がいた。その人は私の家族に理不尽な信じられない仕打ちをした。その人を憎むようになったのは実際は私を通じてひどい目にあった人がその人を憎むようにしむけたのである。
その人は死んだが死んだ親の娘が憎む人だった。死んだ親はこの娘をひどい娘だと憎んで死んだことがあとでわかったのである。娘の方はいい人だと思っていたが余りにも理不尽な人とは思えないような仕打ちを受けてその娘の非道というかひどさを肌で知ったのである。人がある人を特別死んでほしいとか最高に憎むときは実は誰かが死んだ人であれそうしむけるのである。ある人を通じて復讐しようとしているのだ。怨霊とかを恐れるのは現実にそうした恨みを怨念をもって死んだ人の念はこの世をさまよっていて誰かに強くかかわる。親戚となっていれば遠い親戚でもそうした念をまともに受けやすいのだ。その念ははらいきれないほど強いものである。
ハムレットの親のようにそうした強い怨念を残した霊は誰かに現れとりつきその怨念を晴らそうとするのだ。

 
●次世代の者が残された怨念に一番苦しむ
 

この世に様々な事件が起きるし全く理不尽な事件も次々に起こる。それは誰かの恨みや怨念が根強く残っていてその念がその人に入ってゆく、だから何の関係もない人から強盗殺人のような事件が起きるのもそのためである。その時から全く縁もゆかりもない人であっても頭から離れられない、憎しむ人となるからだ。「あいつを憎め、死ぬほど憎め、死刑にしたいほど憎め、最大に憎め、呪い、・・・・・」と怨念はその人を通じて怨念を知らしめはらそうとしているのだ。
それはもはやただ怨念とか化して誰でもいいから入ってくる、憎しみを植えつける悪魔的なものとなってしまっているかもしれない、悪魔は人にいさかいをもたらしそれを楽しんでいるからだ。だから人が人を憎しみ呪いあうことの方が悪魔にとっては楽しいのである。むつみあったり愛し合っているいる姿は悪魔にとっては不愉快なのである。だからこの世に全く理屈的には納得できない理不尽な事件が起きるのだ。あなたが何にも関係なかった人をこれほど憎むこと自体ありえない、そのありえないことが一つの事件を通じて起きてくるのはそのためである。これは実際逃れられないほどの憎しみである。何の理由もないのにたかだか何万かで殺されてしまうのだからその憎しみは大きくなっても消えることがないのだ。一生憎み続けることもありうる。それほどの憎しみを植えつけられるのはやはり誰かの無念の怨念が作用してそうなっているとかしかいいようがない、まず中国人や韓国人からもこの怨念は消えることがない、そして最も被害を受けるのは次の世代の人であり殺し合った代の人ではない、中国や韓国から責められているのは戦争を経験していない人たちである。私たちは関係ないといってもだめなのである。消えない怨念は憎しみは誰かが何の関係もない人でも受けざるを得ないのである。それから逃れる方法はないのか?それは非常にむずかしい、そんな理不尽なことをされて愛が大事です、許しますとか簡単にならない、何十年もたてば許す気持ちになるかもしれないがそうさせることはどれだけむずかしいかを考えてもいかにそうした怨念がこの世にはこびり強いかを思い知るべきである。誰かと誰かが争って不和の内に死んだ人は死んだからその争いが終わっていない、その悔しさ怨念は次代のものにこそ強く影響する。時代のつけは言いにしろ悪いにしろ次の代の人が一番受けやすいのである。

 
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posted by 老鶯 at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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