2006年01月31日

冬の雨(認知症の対処方法)

ninchiyami.JPG

認知症の家にたずぬる人へりて冬の雨ぬる庭の石かな

認知症になるとこれまでつきあっていた人が遠ざかる、やはりなんか気味悪いとかなるしこの病気がよくわからないからだ。ただこれまでつきあっていた人は認知症の人にとって精神を安定させるのに大事なのだ。「回想法」という治療方法かある。これは昔のことは良く覚えているから昔のことを話すると機嫌良くなるのである。でもどうしてもそうした昔の人間関係が地域で絶たれることが多くなるからその精神的影響も大きくなる。人によっていろいろ治療方法があるらしいが「作業療法」というのはきくみたいだ。この病気に対処する一番のコツはなんとか精神を安定させることなのだ。だから「回想法」とか音楽療法とか絵画療法とかがあるのだろう。ただこれは人によって違うからむずかしいのだ。人とつきあうことが好きだった人はやはり人と話することがいいのである。それが絶たれると精神が不安定になる。ただ認知症なるとつきあう人がかなりへってしまうのはどうにもならない、でも家庭内でのようなひどいことが外部ではまだないみたいだから受け入れられているところがまだある。昔の話は通じてそれで会話が成り立っているのだ。

◆真心を込めたアイコンタクトをする

かがんだり、座ったりして、認知症の人の目を直接見つめる。信頼を築く。

◆言ったことを繰り返す(リフレージング)

認知症の人は、相手が自分の言うことを繰り返して確認すると安心する。
声の大きさや抑揚も出来るだけ同じようにする。


相手を落ち着かせることが大事なのだ。催眠術的なものも必要なのかもしれない、真心が必要だというのは相手の心に対応に敏感に反応するからだ。こうした病気の人にはやさしい人が向いているのかもしれない、険しい表情の人やきつい眼の人や落ち着かない人や・・・・性格的に向き不向きがあるのかもしれない、ただこれもいちがいにはいえない、女性には女性がいいみたいだ。男性についてはわからない、男性は暴力的な人がでてくるから男性でないと対応できない、まあ、なんかしらないけどどうしても精神科医のような努力が必要になってきている。これはまた宗教とも関係している。なぜなら心が関係した問題だからだ。肉体が病んでいるのではなく心が病んでいるからである。

いづれにしろこれは父親が癌で死んだ次に驚いた病気である。精神が病む、正常な意識を失うことほど恐ろしいものはないと思った。いろいろ災難があってもこれほど人間にとって恐ろしい病気はない、正常な意識があればどんな状態であれ人間的なものとして接することができるがこの病気はそうした人間的なものを失い、人間的なもの失い死んでゆくような病気だからだ。ただ人間的感情は最後まで残るとかありやはり人間とは最後まで人間的感情は残るものらしい。それが救いとなるがなかなかこの病気はまだわからない謎である。























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