2009年07月29日

古くなり危険な家(本の重みで傾いた家)

家を診断してももらんたけど家が重みで傾いていたというのには驚いた。それも本の重みで傾いていたというのも驚きである。確かに大量の本が増築した自分の部屋に置いてあった。百科事典とか全集だと相当重くなる。書庫のようになっていたからそれが影響した。でも昔風の大きな家だから頑丈だと思っていたがこれも違っていた。家が老朽化するということは木が古くなり枯れてくる、粘りがなくなり支える力がなくなるという、だから地震に弱くなっている。屋根が瓦でこれも重いので家がその重みで痛んでいるという、あとは風通しが悪い家で湿気で痛んでいる。ともかく築40年となるとどんな家でも木の限界になってくる。木の寿命がきれつつあるから危険なのである。老人の骨が弱くなり骨折しやすいのとにている。40年前だと耐震構造の家になっていないのも危険である。建築の基準が変わり古い家は地震に弱くなっている。新しい家は木も新しいから地震に強いという、壁なども多く今は地震に強い構造になっている。まあ、土壁の家だったから古い家である。でも本の重みで家が傾いていたというのは意外であった。やはり年月が何でも影響する。それも自分の歴史だった。本をそれなりに集め読んでいたからである。家も30年以上になったら危険だから診断してもらう必要がある。傾いた家を直す方法も会社もあった。耐震構造にするためにまだ方法あるのだろう。でもまた金がかかる。こうなると新しい家を建てた方がいいともなる。かといってあと余命いくらなのか、自分自身の寿命も計算しないといけない、日本では新しい家を建てるのは金がかかりすぎる、家を壊すのに250万から300百万かかるというのもこのくらいの大きな家だとそうなる。壊すのも大変だとなる。


この家にはもはや未練はないが新しく作った庭の方が価値がある。この庭に未練ができた。いい庭ができたのでもっとこの庭をみて過ごしたいという欲がでたのである。作家の庭作りの本をだしている人もそういうことを書いてあった。庭作りは石一つおいてもそれを毎日自分の庭で鑑賞できる、その石と一体化することである。自然の中にある石は毎日は見ていられない、旅でみたりしても一回では記憶に残らないのだ。だから庭に大きな岩を置いてそれを毎日みていたらその石と一体化する。人間は老人になってもこうした健全な欲が起きてくるもだと思った。こういう欲は悪いとはいえない、人間は老醜を残さないで適当な時期に早い時期に死すべきだということを吉田兼好などが言った。認知症になったり病気になったりするとそういうことを感じる。でももし健康なら人間はやはり長く生きていたいのが人情である。土地があったら最後に庭作りをしたい、庭は自然と日々、身近に対話できることであり第二の自然の創造になるからだ。


なんとか庭作りも終わり、リホ−ムも終わった。あとは墓を新しくすれば一段落である。姉の命日もあと一カ月くらいになる。なにやかにやとこの間もあった。家族が死ぬまで死んであとと大変なことだった。あと一人またひかえているし自分のこともある。この家の始末をどうしようかとするのも年だからである。

posted by 老鶯 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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