2007年01月17日

昔の旅(歌枕−地名の旅)

坂上り歩みの遅し日も落ちむこはいづこなれや標しなきかも

あねはの松・緒だえの橋など聞伝て、人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道そこともわかず、終に路ふみたがえて、石の巻といふ湊に出。「こがね花咲」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、・・宿からんとすれど、更宿かす人なし。漸まどしき小家に一夜をあかして、明れば又しらぬ道まよひ行。袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、遥なる堤を行。心細き長沼にそふて、戸伊摩と云所に一宿して、平泉に到る。其間廿余里ほどゝおぼゆ。 (おくのほそ道)

芭蕉の旅は歌枕を訪ねる旅だった。旅は何か標しになるものがなければ霧のなかを迷うようなものになってしまうともいえる。現代の旅は歌枕など関係ない、車でバイクでぶっとばす走る爽快感みたいなものしかない、旅ではなく移動になっている。旅をすることは現代では移動はできてもできていない、現代の旅とは移動と保養なのである。移動がこれほど楽になったのに旅がないということは実に皮肉である。昔の人は移動そのものがむずかしかったからかえって旅があったのだ。そして旅というのは容易にできるものでないから旅をするにも今のようにどこへでも突っ走るようなことはできなかった。歌枕が指標となり芭蕉でもそれを常に探っている旅だったのだ。ここの文にも地名がでてくることが多い、地名は単なる位置を確かめるものではない、旅の拠り所としてあったし地名には歴史的に蓄積された時間もあった。地名は長い時間の中で人々の指標となるものだった。

人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道そこともわかず、終に路ふみたがえて、石の巻といふ湊に出。

こういうことが旅ではよくある、迷って思わぬところにでてしまうのだ。芭蕉の旅は歌枕の旅であり歌枕を指標として歩いていた。もし歌枕がなければそこがどこだったのかどこを旅していたのかもわからなくなった。旅をふりかると電車の旅は駅名だけが記憶されていることがおおかったのもそのためであり地名に興味を持ったのもそのためである。地名は旅の大きな標しなのだ。その地名を手がかりにして過去を探り今の位置を確認しているのが人間なのである。
笠島はいづこさ月のぬかり道

これも笠島という歌枕の地を月明かりのなかで探している旅なのだ。もし歌枕とか地名なき地を旅していたら旅をふりかえっても自分がどこにいたのかも思い出せなくなる。外国の旅は印象に残りにくいのは歌枕と地名とか歴史的なものなどわかりにくかったためである。地名にしてもその意味も読むこともわからないからそこがどこだったかもわからずじまいになることが多かったのである。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/3074319
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック