2007年01月14日

飛鳥の鶯(旅の時間)

asukaji1.jpg


鶯の日がなそちこち飛鳥かな

鶯の日がな鳴きしを聞きにつ我長々と飛鳥にいしを


旅の時間は不思議である。時間そのも不思議なものなのだ。ある時は長くある時は短くすぎる。去年の一年家族に問題が起きて駆けずり回ってまたたくまにすぎた。旅の時間も例えば自転車の旅の時間は何かせわしいのだ。絶えず次の場所へと移動する旅だから一カ所留まらないからそうなっていた。今何十年前の飛鳥にいた時間が長く感じたのはその頃は電車の旅であり駅で待つ時間とかが長かったからだ。そこで聞こえたのは鶯の盛んに鳴いている声だった。そこを未だに自分は歩いているような気がする。鶯の声が未だに耳に残っているのだ。60くらいになると必ず過去をふりかえる。そのふりかえる過去はまた別なものとなっている。その時感じたものと過去としてふりかえる感じは違っている。

記憶に残るのはやはり何らかそこに滞在する時間が必要なのだ。どこも記憶に残ることはない、都会の雑踏とか歩いた記憶はほとんど残らない、外国旅行も残りにくい、そこは余りに環境が違っていて残らないとなるのか、外国旅行は忘れやすいのだ。だから本当は外国旅行は一カ所に長くいた方がいいのかもしれない、そうすればなじむことがあるからだ。もともとなじみのない場所だから余計記憶に残らないのだ。

フランスのニ−スは保養の地であるから老男善女が海岸を散歩していた。その時は穏やかな春だった。ニ−スとはギリシャ人がつけた名らしい。新しい都市の意味でありこれは地中海沿岸に多い。ギリシャのコインも多く発見されている。

春日さしニ−スを歩む老夫婦

sunny days in spring
elderly couple in NICE

古城見つニ−スに春の日ざしかな

春の海古城一つや地中海



老夫婦がかなり連れ立って歩いている。その外国の老人にも歳月を経た記憶がありそこで昔を思い出しているのかもしれない、その物語を聞けば興味深いものとなるだろう。ヨ−ロッパには城が多い、小さな海岸にある城を汽車の窓からちらっと見た。その城にも物語がある。でも外国ではこの物語がわかりにくいからそれも印象に残らないものとしていた。城があってもいつの時代のものかとかいろいろ歴史的なものがわからないから記憶に留めることもむずかしかったのだ。日本ではあとでふりかえり調べて記憶を新たにすることもできるが外国はなかなかむずかしいとなる。老人になることは思い出が宝となる。その思い出が何になるのかそれは各自違う。何が印象に残るのかは各自経験が違うからそうなる。

ともかくそれぞれの記憶に残されるものが何になるのか?それが老人になってみないとわからない面があるのだ。自分は旅ばかりしていたから旅の記憶が宝となるのか?それでも今になると忘れているのが多い。人間は忘れやすい動物なのだ。でも旅に行けない今、旅した記憶が消えることはもったいない、いろいろな美しい自然を見たからだ。その美しい自然が時々蘇るが忘れてしまいばそれがなくなってしまうと同じではないか、もう一度印象に残った場所にはいつかたずねてみたいとなるのだ。それができなくなる日が来るとは思いもよらなかったからだ。

 記憶の中の飛鳥

sweet memory in ASUKA

遠き日春の日影のなかを
日がな鳴く鶯の声を聞きつ
私は飛鳥の里をそぞろ歩いていた
そちこちを気のむくままに
古りにし石像は何を語るや
小径に亀石が春の日を浴びて眠っている
飛鳥の里に鶯は飽くことなく鳴き
穏やかな春の日影のなかを
私は心ゆくまで歩いていた
その日はもう帰ってこないが
私は今も記憶の中で歩いている

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