

南天に菊を飾れる着物(和服)店
長町に魚の匂い冬の暮
長町の通りを歩みシクラメン三種類ほど飾る店かな
広瀬川の岸辺の道や人会うも枯木つづきて黙し去るかな
仙台の枯木の並木歩みつつまた行くべしや我が帰り来ぬ
長町は昔は仙台の市場だった。長町は相当にぎわっていた。いろいろな店もあった。仙台があるから市場として活気があった。今は必ず長町を歩いて仙台に入る、広瀬川の橋を渡り仙台に入ると仙台駅から入るのと違った感じになるのだ。本当は歩く感覚で道を行くと必ず何か感じるものがあるのだ。それは同じ道でもそうなのだ。今はデパ−トとかス−パ−とかで通りが消失した。通りを歩む楽しさが消失してしまった。買い物だけになってしまったのである。
店とは見せるからはじまったように街を歩くことはまず見ることだったのである。長町には魚屋があったりするとそれだけが昔からあったような店である。魚の匂いというのが何か人間臭いとなる。今はその隣が花屋だったりパソコンの修理屋だったりと変わっている。呉服店など昔はあったがこれも今はない、でも南天に菊というのは合っていた。着物は日本的情緒をかもしだすからやはり日本にはあうものなのだがこれも失われた。
仙台という街はやはり並木が生きている、街の中に自然があるということはやはり街を潤いあるものにする。広瀬川も街の中を流れている。まだ沈黙が街の中にもある。枯木の並木を歩き黙して去りまた来て歩むのである。仙台には確かに通りがあるが他の街ではなくなっている。通りはシャッタ−通りになってしまった。仙台くらいの規模だとやっと通りが維持できるのかもしれない、東京だと大きすぎて騒音通りになってだめなのである。
やはり通りを歩むのが都会に行く楽しみとするときそれがないと都会もつまらないとなる。旅で行く街が寂れているので残念だった。旅ではデパ−トとかス−パ−には行きたくないからだ。街の通りは一つの文化であり街の通りがなくなることは文化の破壊だったのだ。文化について語ってきたが文化は人間の血肉であり文化が失われることは影響が大きいのである。でも便利さや経済の効率追求で容易に破壊されたのが文化だったのだ。
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