2009年07月11日

金のたまらないのはなぜ(人間は10年、20年間隔の計算ができない)


金のたまらないのはなぜ(人間は10年、20年間隔の計算ができない)


60歳から90歳までの30年間…

2万×12ヶ月×30年=720万円
3万×12ヶ月×30年=1080万円

約一千万になる、一見2万5千円は少ない気がするんだけど塵も積もれば山となる
こんな計算とてもできないよ、でも90まで生きるとなるとこんなこともできる



これだけの小額でも 長い年月をかければ金はたまる。金がたまる人は金を使わないのだ。
金を使う人はいくら金を稼いでも金がたまらない仕組みになっている。そして人間は一年とかの間の金の計算ができるが10年となるとできない、20年となるとさらにできない、それが金がたまらない理由なのだ。何故なら10年で金の計算ができないということは結果的に金を浪費しているのだ。ここで問題にしているのは金をためて使っていいとか悪いとかではない、なぜ金がたまらないかということだけを問題にしている。

例えば車を持つことを10年単位で考えると百万で買い一年で50万かかるとすると10年で5百万かかっている。
10×50=500万となる。20年だと20×50=1000万
この額は思った以上大きいのだ。自分は車を使っていない、使ったのは旅行代金でも一年に50万にみたない、それでも車なみに20年になると一千万は使ったことになるのだ。人間はどんなことにでも金を使えばたまらないことがわかる。その逆に金を使わないでわずかでもためれば10年20年でその額は思った以上の額となり驚くのだ。これに複利とか利子がつき利子がついたとき10年20年で倍になっていたのだ。
都会のように家賃が10万とかしたら30年で三千万以上なるロ-ンが買った方がいいというのも説得力がある。ただこれの盲点30年という長い年月の間に価値の変動があるから問題なのである。
人間は10年20年の間隔でものを考えたり金を計算できないことが大きな落とし穴となり金がたまらないのである。またその方がいいのかもしれない、金は時価であり金の価値は変動するから金はいつも同じ価値ではない、その時々に金を使わないで投資しなかったら晩年は索漠としたものとなっている。現実わずかの金をためた老人は何のためにためたのか最後に介護のためだったのだ。あとは何の楽しみにも使わなかったのである。こんな人生誰もすすめられないし嫌になるだろう。そういう人とつきあうのも嫌になるだろう。身内でしかたないということで世話するのである。
  人間の盲点は長い年月考えられない、木を育てるのに50年かかるとかしたら一代で林業でもうけることは無理だとなる。代々仕事を受け継ぐことで利益がでてくる。そういう気の長い計算は全く現代向きではない,現代すぐに利益を出すこと優先するからだ。実際ス-パ-のカ-ドでもその度に割引してくれるカ-ドの方が得な感じがする。何百回も買ってやっと金になるのはまどろこしいしやる気もなくなるのだ。その場で金が割引されるのが得した感じになるのもまともな感覚である。その時々買って得になる感じだからあとからまとめて清算して割り引かれるより得な感じになるのだ。それが正常な感覚なのである。金で人生を図ることはできない、一億ためてもその人生が豊だったとは限らない、晩年金がなくても金なんかなくても自分は自由に生きたから満足だった、別にこれ以上長生きする必要がないとなれば金の計算などする必要がないのだ。人生はそもそも金の計算どおりではない、私が知っている人は金だけの価値しか与えられていない、その事情は複雑だが金だけを目的として施設にあづけられ施設を転々している。軽い認知症であり自分のことも良くわからないのだろう。ただ金持ちだったため一応赤子のときだけ育てた娘やら養子やらがいるが全く愛情がない、ただ金だけを目的にされていてその老人を愛している人はいないのが悲劇なのだ。ただ本人は気づいていないのである。一方金がなくても苦労して子供を育てたから子供が介護でめんどうみるという人もいる。金なくても幸福な人はいるし金があっても不幸な人はいる。
人生は金の計算どおりにならないから10年20年で金の計算できないように人間をしているのかもしれない、人間の先はどうにもならない、金があっても金がなくても先はわからないから10年とか20年で金の計算をできないように人間を作っているのだ。ともかく時間は金では買えない、時間が過ぎ去ったらその時間は金をいくら積んでも買えない、そこに青春の大きな価値がある。30年間ひたすら金だけをためて老後を豊に生きるなどと考えたら絶望になる。60以上になると予期せぬ運命が待っている。本人が体力弱り旅もできない、頭脳も老化して本も読めないとか、したいこともできなくなる。若いときにできることしなかったらとてもじゃないが老人になってできるわけがない、時間こそ最も貴重なものだったことを知るだろう。老後に金がなくても青春、人生を生きたものは満足なのである。だから瞑目して安らかに死ねる。人生は機械を生きるロボットを生きるのではない、意外な展開があり意外な結末が人生のドラマに待っている。それを自分の一番身近でまざまざと見たからショックだったのである。
posted by 老鶯 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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