ホ-ムレスの人と六号線で話す
夕蝉やホ-ムレス去る六号線
夏の日や東京まで歩く放浪者
放浪者と一時話す夏の怪
紙袋下げてぺットボトルを持ち汚れた人が歩いていた。その人に声をかけたら笑っていいた。その人とまた話そうともどったら廃棄されたガソリンスタンドで休んでいた。それで話したら話にのった。仙台まできて東京まで歩いて行くのだという・・・・これは本当であるどこから来たのか、四国の松山から来た、ずっ-と歩いてきてまた帰ってゆく、東京に帰ってゆく、東京、神奈川には仕事があるという、自立支援センタ-のことをしきりに言っていた。仙台の自立支援センタ-のことを言っていた。そしてまたしきりに自立支援センタ-がなくなり飯場に行くようになるともしきりに言っていた。こんなふうにして歩いている人を六号線では時々みかける。普通の旅人とも違う、歩きの旅をしている人も確かにいる。こういう人はホ-ムレスの移動は違っている。この人は寒いと沖縄に行くという、四国にも行く、移動しているのだ。西成とかを根城にしていたこともある。年は53歳で京都の人だった。「おおきに」と言ったからだ。これは大阪の言葉だと思っていた。五人兄弟で何でも三千万の財産を分けて一時六百万くらい入ったとか言っていた自分のように一人なら全部入っていい暮らしできたかもしれないと言ったら笑っていた。五三歳ではこの移動はきついだろうと言ったらオレは肺が丈夫だと何回も言っていた。肺によほど自信があるらしい、山頭火のような旅人も足が丈夫だと健康に自信があってできた。でも健康は気になるらしくサプリメントを飲んでいるとか歯医者とかにゆくために働いた金で医者にかかるんだとかもしきりに言っていた。五三歳ではもうこんな暮らしはつづけられないのではとかいうと60まではつづけるとかオレは肺が丈夫なのだとかしきり言っていた。
自分の事情も老親を介護しているとか旅行が好きで全国を回った、今は介護とか体がきつくなりできないと言ったらそれも話が通じている。そして寝袋など使わないし古いリュックサックもあるからくれると言ったら今日はここで寝ると言っていた。しかし寝袋などもっていってそこに行ってみたらその人はいなかった。食事を終えて行ってみてもいなかった。歩いて去って行ったのだろう?今になると狐につつまれたような夏の怪である。しかしこれだけ話することはないしあういう人は近づきがたいし普通は人を寄せつけない、自分のことを話したりもしない、たまたま調子があって話したのである。だからあとでたずねて見たら消えていた、何か聞かれるのがいやがったのか何かまずいことがあるのか、去って行った、四国であったホ-ムレスはいろいろ話したけどあれは例外的であり普通はあう言う人は余程でないと自分のことなど初対面の人に話しない、それで消えたのである。前にもそういう人は来た、神戸から借金をして逃げてきたみたいだ。その人にはテントをくれてやった。あの人は今日の人よりヤバイ、犯罪者になっているかもしれない、自販機荒らしのようなことも言っていた。今日の人はコンビニの賞味期限切れの弁当を食うと言っていた。あう言う人は金がないのだからどうして食事を工面するのか不思議だしそこまで言うことはあまり普通はないだろう。だからまずいと思い去って行ったのかもしれない、これだけホ-ムレスの放浪者と話すことは普通はありえない。
自分は旅してきたので六号線は旅する人が通るからどうしても気になるのだ。ホ-ムレスのかかえている事情は深刻だから旅人とは言えない、飯場に行くとしきりに言っていたから仕事を求めていることにもなる。放浪者ともいいがたい、山頭火のような存在は木賃宿で出会ったら不思議だったろう。乞食でもあるがやはり放浪者でありホ-ムレスとにているがまた違っている。ホ-ムレスの移動者はまた放浪者とも違っている。やむをえず仕事を求め放浪しているのかもしれない、放浪自体が目的ではない、山頭火の旅は放浪自体が目的だった。でも沖縄から四国から東京から仙台までと歩いて移動しているのだから相当タフでありやはり放浪癖もあるとなる。そこでどうしてそんなことができるのかと言ったら肺が丈夫だからとしきり言っていた。それが自信になっていたのだ。体に自信があるからこそそうした暮らしができているのだ。いづれにしろこんな人と会ったとしてもあとは永遠にあわない、こういう人は一度限りしか会わない、そういう人は旅で今もある、ただ旅でも仲良くなり連絡し合えばいまではいくらでも会える、江戸時代はなかなか一度会っても遠いから会えない、一期一会になってしまうのだ。
まあ、53歳というのにも驚いた。53年間の放浪、無宿はやはり厳しい、もはやすぐ老人になってしまうからだ。この人も一生が無宿、放浪だったとなるのかもしれない、この人もいづれどこかで死んでいる、肺が丈夫でもそんなに生きるものだろうか、体に負担がかかっているからそんなに生きるだろうか?ともかく夏の日の一時の出会いは終わった。永遠にその人のことはもうわからない、夏の日の怪だった。
この人は東京まで20日間で行くとか言っていたからそれならげきるのかなと納得した。
一日の歩く距離が相当に短い、すぐに休んでいたのだ。あの格好では長くは歩き続けられない、江戸時代すら8日間で相馬から江戸まで行った、これは道がいい現代で東京まで20日かかるのはかなりのスロ-ペ-スである。こうして納得するは意外とできるもんだなと人は思う。
これは体力の問題もあるがこれだけのスロ-ペ-スな東京まで歩いても行けるとなるのだ。自転車でもゆっくり行けば長距離を行けるのだ。