2009年07月04日

地元の産物を活かすことが文化の創造 (東京一極集中が地域文化の破壊だった)


地元の産物を活かすことが文化の創造

(東京一極集中は地域文化の破壊だった)
 
今の時代、外国の方に詳しく日本を知らない人も増えている。外国人に日本の良さは何かと問われて答えられない、日本はつまらない国だと言って外国人をがっかりさせたというの現代を象徴している。まず日本を知って外国を知る必要がある。日本人として日本を知らないことは日本人失格になる。そういう人が現代では増えているのだ。俺はコスモポリタンとか言ってもその人は自国の文化も身につけていないのだから個性なき人間になってしまう。個性はその国の歴史と文化を身につけてこそありうる。これは地域でもそうだった。意外と足元の地元のことを知らない、庭作りの職人から聞いた話でわかったことは津島に津島黒石という石があり津島は石材で成り立っていたとか聞くとあんな山奥で今の時代どうして生活しているのだろうかといつも思うが石が産物となっていた。飯館は御影石が産物となっているが津島黒石は津島と名がついているのだから津島だけにとれる石だとなり特別な石となる。那智黒石などもそうである。その土地の名がついて有名になればその土地を意識する。ワインもその土地の名がついて有名になっていたのがある。その土地からのみ作り出されるワインだからこそそうなる。相馬焼きなども前は相馬に相馬焼きを作り出すいい土があったのだろう。なぜなら陶工はいい土を求めて探し歩くからである。今では相馬焼きの土もよそから入ってくる。
 
でも今の時代はへたするとそうした石材なども中国から入って来たりする。墓石の石は今は中国から入ってきているというのもそのためである。そして津島黒石なども東京などに売られ地元で利用することは高いのでむずかしくなる。高瀬川の小石はいい石ですがこれも東京の方に売られてなくなりつつある。
高瀬川の小石は特別なものと思っていなかった。真野川の石はいいのはないというのも同じ地域でも違っている。ここで問題なのはいいものが地元の貴重な自然の産物が地元で有効利用されず東京などに出てしまい枯渇してしまうことの危惧である。事実手遅れとなり資源は枯渇して地元で利用することができなくなっている。これはいい材料がグロ-バル化で外国でも地元で利用されず日本などに輸出されるのとにている。グロ-バル化とか中央集権化は地域の文化の破壊にもなっているのだ。金が高いから地元にある貴重なものが流出して枯渇して地元で利用できなくなることは地元の文化の消失であり破壊となる。やはり津島黒石は地元で使ったらその価値も高くなる。すべて東京が値段が高いからといい材料が流失したら文化の創造はありえないのだ。
 
東京というところは逆に地域の文化も破壊しているという現実がここから見えてくる。地方分権などを唱えるが経済的なものだけではない、地域の文化は中央集権、東京一極集中で破壊されているのだ。高速道路ができたからといって逆に地方から東京に移動する人が増えるとか現実格安の高速バスも出るようになったから東京の方に買物に行ったりするもの矛盾している。地元の産物を活かせないとしたら地元は経済的にも文化的にも枯渇してくる。江戸時代は藩ごとに文化があった。現代は東京一極集中であり文化まで銀座通りとかはやったように東京のまねになる。前に何度もグロ-バル化は文化を破壊したというとき実は国内でもそういうことが起こっていた。地域の文化は東京一極集中で破壊されたのである。では東京から文化が起こっているかというとモンスタ-都市であり文化は起こらない、文化は地方から起こっている。
 
ヨ-ロッパでは地方都市から文化がルネサンスが起きている。地方都市が文化的に充実している。日本はすべて東京一極集中であり歪(いびつ)なのである。東京によって地方のエネルギ-が吸い取られてしまうのである。そして浪江と小高地帯に原子力発電ができて景気が良くなるとか言うのも矛盾している。核の廃棄物とか青森の僻地に作られるとか危険なものが地方に作られ東京にあらゆるものが集中してしまうのも歪なのである。貨幣経済のグロ-バル化が国内でも矛盾を作り出しているのだ。本当に金ですべてが買える、市場価値が金ですべて決められるとなればそうなる。地元のいい産物も東京という市場に流出して資源は喪失する。 では東京で地方の資材を集めて文化を創造しているかとそうはならない、消耗されている。地元の資材、産物は地元で活かされる時、一番有効利用したことになり価値を帯びてくるのだ。そのためには確かに地元の資材、産物を活かす知恵が必要なのである。今回の私の狭い庭作りは小なるものだが一つの文化創造だったのである。
 

「ぬな河の底なる玉 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも あたらしき君が老ゆらく 惜しも」
(古事記)


この玉は翡翠だったという、ここに老ゆるとは地元でもそうした玉は発見しがたい、地元のことを意外と地元のことを知らない、そのうち老いてしまっているというのが現実なのである。津島黒石でも高瀬川の小石も

求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも ・・でありこれは各地にある。
それは自分にもあてはまっていた。たまたま地元の庭師にあって知ったことがかなりある。庭師は地元の産物、資源、自然に通じている必要もある。庭でもその土地特有のものを作り出せば記念となる。
posted by 老鶯 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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