冬の暮認知症看護や石二つ
今日も耐ゆ小松一本冬の暮
●今したことを忘れる認知症
認知症の深刻さは今やっていることをすぐに忘れてしまう。だから絶えず探し物をしている。そして見つからないと近くにいるものが盗んだとなり責められる。それが毎日延々とつづくのだから神経的にまいってしまうのである。それが異常なほど執拗でありそれとつきあっていたらノイロ-ゼになってしまう。一日中一緒に探し物をしていなければならなくなる。遠い過去のことは覚えている。今のことはすぐ忘れてしまうのだ。忘れるから不安になり探し物をしてしいるのだ。そして疑い深くなるから通帳とか金とかを離さず持って歩く,ところがそれがなくなるとまた身近にいるものを責める、自分で管理できればいいのだができないのに大事なものを持って歩いたり管理しようとするから困るのだ。事実上金の出し入れもできないのにしようとしている。本当は金でも全部まかせるべきなのだが後見人にならないとそれができないしめんどうなのである。認知症になっても当人がわからなくても金はなかなか親族のものにも委託されないのである。認知症の看護には正常な意識のものが二人くらい必要なほど大変な病気なのである。石二つというのはそういう意味である。
●認知症の原因?
そもそもこの認知症の原因は何なのか?精神病とにているからその一種なのか?それもあるがそれだけないのはこれはどこの家庭でも誰でも70歳以上で一割とか80歳以上で2割とかかかる割合が多いから確実に老化現象とともにかかりやすいものなのだ。老化現象と深く関係していることは間違いない、老化現象の極端化されたものが狂いとなってしまった。老化というとボケとか耄碌とかあるがこれとは全然違ったものが認知症である。人間のもっている妄執、妄念とか独占欲とか憎悪とか不信とかそうした悪徳が狂気となって行動となってわらわれてくる。これはだからまさにダンテの地獄に落とされた世界である。そこでは心の思いがはばかることなくはきだされつかみあい殺し合いまでしている。そこはだから身の毛のよだつような人間の地獄世界となっているのだ。認知症が何か高血圧とか心臓病とか体から来ることは確かだろう。しかし人間が生きてきた心の問題として起きている面がある。これはだから家庭と深く結びついて起こる。例えば嫁と姑の関係がそうである。姑は家庭に嫁が入ってくることは絶対に許せないものなのだ。嫁と姑となった時点で不倶戴天の敵と化す、それは最期まで終ることがない、そして最悪が認知症となりすさまじい鬼と化してその家の呪いとなり嫁を攻撃してくるのだ。家自体かそうした呪いをもったものであり先祖大事にしないから先祖霊にたたられたとかいって仏様の罰当たるとか言うひとがいるが全く逆なのである。先祖をもった家自体全部呪われているのだ。家を家庭を維持しようとすることこそ呪われているのだ。だから呪われた家だからこそ認知症になる人はどこの家とかではなく誰かとはでなくみんなに起きてくる問題なのである。その原因の根源は人間の本源的な営みの家族にあったのだから不可避的にみんな平等に起こる病気なのである。
2006年01月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/302769
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/302769
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック