2006年01月27日
寒雀(自然は天国、認知症は地獄)
寒雀三羽よりそい朝日かな
寒雀三羽なごやか家なしも
認知症は家庭崩壊になる、すでに我が家ではなっている、昨夜は幻覚症状、せん妄がでて誰がいたんだ、誰がいたんだと問い詰められて眠ることもできなくなる。狂気の人間相手だから説得もむだである。ただただ自分の言い分を狂気的に通そうとする。狂気の人間との会話はなりたたない、自分の言い分が通らなければ暴れる、だから縛りつけるほかなくなっている。こんな地獄があるとは信じられない、家庭は崩壊し精神病棟になる。ヨブの試練とかたいそうに言うけど財産を失うことなど誰でもあるし自身が病気になることも誰にでもある。しかしこの認知症の狂気よりはましだと思った。これを家庭にかかえこんだらそこは地獄である。ダンテの地獄に住むことになる。認知症は地獄の人間になっている。
しかしこの地獄の人間は一面人間の真実示している。まず肉親でも人間を信じなくなる。考えてみれば肉親の絆といえそれほど強固なものとはいえない、親を財産目当てにしかみなくなっているものも当たり前だしそうなると娘や息子でも信じられないとなるから金に固執するのである。いづれにしろこの地獄の住人の対話は何なのか?そこから見えてくる人間の真実はそら恐ろしいものであった。そしてこの認知症よりは自然はいかに平和か、それはまさに天国だった。単に雀が三羽よりそい朝日を昇るのを家の屋根から昇るのを見ている姿はなんと平和なことか?認知症と接して人生観、世界観まで変わってしまった。それほどのこの病気は凄まじいものなのだ。家庭自体今や地獄であり家庭など必要ではない、家は雨露をしのぐ場所としてのハウスであり必要だが家族は必要ない、家族のなれのはてみんな同じである。最後に認知症の地獄の住人となって家庭での暮しは終る。
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