2007年01月07日

朔風(認知症介護に一年過ぎる)


一本の大木に唸る朔風や認知症の世話一年過ぎぬ

去年の一月からK子の認知症の世話をしてきた。はじめはあまりにショックだった。何になったのかのみこめないしただ狼狽するだけだった。そのときから症状は変わっていない、ただこれはこんな病気なんだなとわかったから今では慣れてそんなに狼狽しない、狂ったような暴力までにはならないから一緒に暮らせる。これがもし一線を越えて暴力として歯止めがなくなれば一緒にいられないだろう。そういうひどい認知症の人を介護している人のプログ読んでいるからそう思うのだ。

だから「年金が盗られた」と言われて実の娘が母親を殺してしまったのはなぜなのかよくわからない、そんなこと毎日言うのが認知症である。金のこと銀行のことがまるでわからなくなるのがこの病気だからだ。ただ毎日執拗に責められると精神的にまいってしまうだろう。
年賀状なくして泣いたり自分が盗ったと怒り責めてくるのも同じ症状なのだ。この症状も実際は狂気になると一線を越えると暴力になったりすると手がつけられなくなるから怖いのである。何かを無くすとパニック状態になり感情的になり激怒して一番身近なものを盗ったとか責めてくるのがやっかいなのである。

いづれにしろ認知症の世話で一年すぎたこと認知症の家族をかかえて一年すぎたことも一つの歴史を刻んだ。歴史を刻むというのも変だがやはり病気というのにも歴史がある。病気と苦闘してきた人間の歴史がある。自分も病気との苦闘を強いられたのだ。たいした苦闘ではないにしてもそれなりにこの病気と苦闘して一年すぎたのである。自分だけが認知症の家族をかかえて苦しんでいるのではない、認知症にどう対処すればいいのかなど認知症を直すためにはどうすればいいのかなどはこれは今や社会的人類的課題にもなってゆく。一人の特殊な老人の問題ではない、老人共通の問題なのである。介護というと一〇年とかししている人がいるからこれは長すぎる。これこそ苦闘の歴史を刻んだとるなる。

今日は異常なほど荒れた、風が強くめずらしく長い停電にもなった。それで去年の朔風からはじまったプログをふりかえった。最初は何がなんだかわからないから恐怖だった。今はこれはこういう病気なんだとある程度割り切っているからそんなに恐怖ではない、一線を越えない、狂気の暴力とはならない、自分にたいしては歯止めがあるから一緒にいても恐怖を覚えないのである。狂気になり殺されるんじゃないかとなるとおちおち寝てもいられなくなる。実際そういう人もいるからだ。

今年の一年もまた認知症とつきあうことになる・・・・・そしていつまでなのか・・・・いつ終わるのか・・・これを考えるとやはり憂鬱にな・・・・
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