2006年01月26日

朔風(認知症の家)


朔風や認知症かかえし家一軒

田舎町では認知症に関して理解もないし何の助けもなかった。金出して避難所の室を確保しようとしても小さい町では部屋さえ確保できない、今や近隣の助け合いなどはほとんど期待できない、そういう社会にしたのだからやむをえない、金でなんとかしようにも田舎ではそうした物権とかサ-ビスすらないのだ。認知症の人を一日でも預かってもらえるデイサ-ビスとかもない、回りにそうした支援体制が全くないのだ。そこで仙台を調べたらグル-プホ-ムとかいろいろあった。専門の研究機関もあった。山元町にグル-プホ-ムがあった。ここだとかなり近い、仙台くらいでないと相談も受けられない、認知症は田舎の地方町ではお手があげである。近隣の助けなど全く期待できない、ただ昔からのなじみのところが一軒くらいは付き合ってくれるかもしれないが他はむずかしいのだ。

認知症で苦しんでいる人々は助け合うことができるがまだ地方ではその認識度合いが低すぎる。単なる老人のボケのようにみているのだ。この認知症は家庭崩壊さえまねくとんでもない大変な病気である。人間が壊滅するような恐るべきものだった。なんか腰痛は大腰筋が痛み直っていない、立つ時とかがかなりいたむ。なんか憑依霊が腰につくとかまんざら本当かなとも思うほど苦しい状態になってしまった。認知症なるくらいなら絶対に早く死んだ方がいいと心の底から思った。意識が正常であれば不治の病でも人間として生きることができるのだ。ここにはもはや人間そのものが奪われてしまうほどの恐るべき病だと思った。これを見たら他の苦労などたいしたことがない、美人でないから自殺したとか馬鹿らしくなる。病気でもない、意識が正常であとはどんな貧乏でも食えれば人間はいい、認知症はそれすらないという現実があるからだ。つまり人間そのものが奪われてしまう恐るべき病気なのだから・・・・
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