2009年06月12日

スカシユリ(健やかなる日もどる)


夏菊や朝前畑に夫婦かな


夏雲雀畑に働く人のあれ

スカシユリ今日開くかなその赤さ我に満ちけり健やかにして

隣合う家にしあれどそれぞれに異なる花見つ夏の日暮れぬ

蝶一つ野辺に眠るや夏の夕帰り遅しも余裕あるかな
 
 
働くことが楽しいということはいいことである。働くことを重荷と感じて愚痴ばかり言う人もいる。働くことが楽しいということはそこに仲間がいてやりがいもあるということか、ただ朝7時とはいえその辺が辛い、庭のスカシユリが今年も開いた。認知症であれ知的障害であれ病人であれそういう人をかかえるといかに大変か身をもって体験した。未だにその後遺症はつづいているしそのあともいろいろと問題になる。人間が弱みをもつということ人に助けてもらうことがいかに大変かということである。そのことであとあとまでもめている。人が弱みをもつと助ける人は必ず傲慢になり奢ることもわかった。それでボランティアは批判されている。ボランティアは弱いものを服従させるために支配するためにしているというのもわかった。つまり謙虚に人を助けることは人間にとって不可能に近いこともわかった。


ともかく健やかでないことをずいぶん経験したので健やかなことがどれだけ幸せなことか、普通であることが幸せなことか痛感した。蝶一つは野辺の道の草むらに眠る、ああ、そんなに急いで帰らなくてもいい、一応待っているのは正常な人だということで安心がある。これも当たり前のことだが前はそうではなかった。家に認知症や障害者や介護する人をかかえると外に出ても安心感がなくなるのだ。そしてショックだったのは介護する人が離れなくなることである。代わりに見てもらう人がいないとそうなる。認知症とか知的障害者とか体が悪くても離れられなくなる。それが一日でもそうであり悲惨なのは一時間も離れられないとか若年性アルツハイマ-の夫を介護している妻のことをテレビでやっていたが本当だった。そうなると息抜きもできなくなる。

花はそれぞれの家で異なる花を見ているからその花について深い感想が書ける。それが個性ともなる。花に対する感想が違ってくることで面白いとなる。 今日の一句一首も毎日書き続けることがむずかしくなった。梅雨の時期はむずかしい、外出しにくいからだ。他に書くことはあるから毎日一回は何か書くことはあるだろう。プログは毎日書き続けることが勤めである。何かを書いて埋めないといけない、毎日みている人は少ないだろうが何にも書いていないとアクセス数はへる。最近また300台に回復しているからやはり書き続けないとプログは読まれなくなるのだ。自分のフプログはどちらかというと百科事典の索引のようにひかれて読まれている方が多い、毎日新聞のようには読まれていないみたいだ。


 

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