2009年05月24日

鳴瀬川と夏の海


鳴瀬川朝にそそぐや夏の海


鳴瀬川朝の鴎や夏の海

電車行く鳴瀬川そそぐ夏の海
 
途中電車から見た川は鳴瀬川であり真近に夏の海にそそいでいた。鴎が一羽まぶしくその夏の海から飛んできた。この名前が良かった。鳴子とか鳴海(なるみ)とかあり鳴るから名づけられた。 川が海にそそぐのが見える所はなかなかないだろう。
サイクリングコ-スとして石巻から運河をたどり鳴瀬川の河口まできてさらに奥松島を見るのがいい、サイクリングは景色がよくないとつまらない、仙台から松島までは道路も狭いし混んでいて適していない、体力的に苦しくなっても短い距離ならいい、それも近くならいい、仙台から石巻までは日帰りコ-スである。また行ってみよう。
 


 一首鑑賞  

夕霧を招待する内大臣の歌
 
我が宿の藤の色こきたそがれにたづねやは来ぬ春の名残を(源氏物語-藤裏葉の巻)
 
藤の色こきたそがれに我がたづぬ袖の渡りに昔思いぬ
 
藤の花は日本人にとってはなじみ深い花である。藤の花は福島県の浜通りではすでに散っていたが松島から石巻まではまだ咲いていた。福島県と宮城県でも地域差があるのだ。この短歌と今回の袖の渡りに藤の花が咲いていたのはあっていた。源氏物語をすべて読むことは不可能である。一部しか読めない、それも自分の場合はあまり興味ないからほんの一部しか読んでいない、他の古典でも膨大だから読めないのだ。古典すら一生の間に読むのがほんのわずかだとしたらつまらない本を読んで時間つぶすことがいかに時間の浪費かあとでわかる。いかに人間は時間の無駄をするかわかる。時間の自覚するのは老人になってからなのだ。こんなに時間は早く過ぎてしまうのかというのがわかる。つまり時間は人生の中で一番浪費しやすいものなのだ。時間は限られていることが若い内は実感できない、いろいろ他のものは節約したりするが時間を節約するということ優先する人は若い内は特にない、時間はそのうち無為に過ぎてゆくのである。
 
インタ-ネットでたまたまこの短歌を見いだした、そしたら今書いている袖の渡りにこの歌を入れるとぴったりだったので入れた。こういう書き方はインタ-ネットでしやすい、キ-ワ-ドからたどって書いてゆくのである。今度の文も半分はそうだった。コピ-で引用しやすいから書けるのである。

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