
(石巻)
夏の朝海見え鴎一羽飛ぶ
みちのくの川もそそぎぬ夏の海
川と海交わる夏の石巻
石巻かもめあまたや夏の海
古の袖の渡りや松に藤
釣り人や袖の渡りに松と藤
夕藤や袖の渡りの松古りぬ
夕焼けや海風そよぎ石巻
女川へ線路伸びにき夏の夕
海よりの夜風涼しき石巻
石巻海より朝の風そよぎ船の泊まりて藤の花垂る
藤棚の下に休める人や松古りて釣り糸たるる石巻の人
夏の日に袖の渡りに我がよりぬ芭蕉もよりし社の古りぬ
藤垂れて袖の渡りの松古りぬ旅路よる袖の渡しに夕風涼し
海よりの夜風涼しき石巻ギタ-をひきて若者歌う
石巻の袖の渡しに実際に立った。風光明媚ないい場所だった。それで今でもその場所の雰囲気が残っているからここが袖の渡しと理屈ではなく直感した。千年たっても場所自体は変わっていない、芭蕉が立った場所自体は変わっていないのだ。そこに立ち寄る人間が変わっただけである。だから以前として旅するとき歴史を知るとき場所の意味は大きいから一度でも歴史の場所に立つことは大きな意味があるのだ。石巻には夕方も袖の渡しに行くつもりだったが道に迷い行けなくなった。暗くなり二時間くらい自転車でさまよっていた。それで考えたことは昔の人は一回限りしか歌枕の名所には立てない、人もは場所も一期一会であり二回来ることは本当にまれである。西行だけは平泉に二回来たが江戸時代になると芭蕉でも他の俳人でも一回は来ているが二回は来ていない、だからこそ千載の記念(かたみ)としての奥の細道が成ったのである。今のようにまた来るからいいやとかそうした軽い気持ちではない今生の別れとしての人であり場であったことは違っている。今でも遂に人は別れ旅してもその場に二度と立つことができなくなる。ここ四年間遠くに旅できない、今からもまだ旅できないことを自ら経験して痛切に感じたのだ。老人になると人が逢うことこそ不思議である。何故なら死ねば永遠に会えなくなる、人間がこの世で逢うことこそ不思議であり普通ではない、そもそも別れこそ常であり永遠に会えなくなることこそ普通であり今生で会っていることこそ不思議だとなる。六〇年一緒にいようがそれは同じだった。この世で人と人が逢うことこそ不思議である。なぜなら永遠に会えなくなる、そのことこそ常である。
陸奥の袖の渡りは石巻の説
http://www.musubu.jp/hyoronsodenowatashi1.html
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