冬の鳥遠くに行けず親の世話
災厄の年の暮れなむ鐘の鳴る
家二つ一つの町に大晦日
認知症は忘れるな我は年忘れ
息長く大木にあれ我が家の柱となりて冬の日暮れぬ
冬の鳥は一般的にはツグミだろう。これは近くをぴょんぴょん飛んでいる。冬の鳥は身近にいてあまり遠くには飛ばない、今や介護とまではいかない親の世話でぴょんぴょん近くを飛ぶ姿とダブル。
今年は最大の災厄の年だった。だからこの災厄をは御祓いしたいとつくづく思った。しかしこの災厄は来年もつづく、認知症の人は今日食ったものも記憶できない、だから毎日食わせていてもいつも何もないと思っている。食った記憶がないからだ。一年間食事を用意してもいつも今日は何もないと思っているのだ。だから余ったご飯をふかして用意している。ご飯はいつも用意しているのにそうなのだ。この病気ほどおかしな病気はなかった。これは直接身近に接していないとわからない病気である。ともかく今のこと忘れるのだから年忘れをする必要がないのが認知症だ。自分はこの災厄の年を御祓いしして忘れたい、つくづく今年はそういう気持ちになった。
まあ、人間は性急ではだめだ、何事息長くやる必要がある。家族の歴史もどこでも二代だとしても百年以上はあるから長いのだ。その長さの中で人生を考えねばならない、息の長さはやはり家康のように事を成就させるのだ。息長(おきなが)氏などの姓の意味もそういものから名づけられた。人間は長いスパンで考える、歴史も一代だけを見ていては何もわからない、そこに長い時間をかけて作られた歴史の意味と重みがあるのだ。それでも介護が長くなるとこれは辛いとなる。しかし長い眼でやってゆくほかないのかもしれない、お前の半生は自由だったんだから仕方ないだろうと言われるそれまでになる。ただ一日も自由がないということが耐えられない、つくづくこれも刑務所にいる人の気持ちがわかった。刑務所の辛さは外の空気にふれられない閉塞感なのである。それが一番辛いことなことがわかった。
新年の準備はできた、雑煮もお汁粉もできているし今日はスキヤキを食った、これは簡単だった、料理は簡単でないとだめだ。手のこんだものは作る必要はない簡単なもので十分なのだ。老人は食う量が極端に少ないからそんなに料理にこる必要はないのだ。男は料理が苦手だが最低限の料理は今や誰でも必要になっている。だからたしなみとしてやっておく必要があったのだ。
今年の災厄をさってくれ
来年は幸(さち)来れ
みなさんにも幸来れ
我は息長く己が責を果たさむ
では 来年も良い年でありますように・・・・・
認知症の介護の人もがんばってください・・・・
2006年12月31日
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