●雰囲気が暗いと人は近づかない
ここ4年近く我が家に起こったことは何なのか未だにわからない、それは姉の認知症とともにはじまった。この病気自体もわけのわからないものである。老人特有の精神の病だともなる。まずどんな家でも病人をかかえればその家は確実に暗くなる。雰囲気的に沈んだ家になる。だから一般的にそういう家には人はよりつかなくなる。これは周りの人が冷たいとかだけではない、どうしても入りにくくなるから批判はしにくいのだ。それは自分の家だけではない、他の家でも病人をかかえるとそうなるし同じだからだ。一般的に雰囲気の暗いところには人は近づかない、店でもそうである。今不幸なのは街の商店街がシャ-タ-通りになって暗くなっている。それが街全体を暗くしているのだ。そのシャ-タ-通りの廃業した店に公明党のポスタ-などが貼ってある。これもここは不幸の家ですという表現のような気が今ではしてしまうのだ。宗教団体などもどっちかというと問題ある人が入るから雰囲気的に暗い人や家の人が集るから陰気なのだ。そういう所に入れば仲間できていいとかなるが実際は悪い仲間とまた合うことになるのだ。陰気な人と陰気な人がむすびつき陰気な集団ができてしまう。ともかく自分の家もこのように呪われた家になったとしかいいようがない、だからこういう家になると先祖霊の祟りだとかいろいろい言う人がでてくる。実際自分もこれは一体何なのだろうとその方面も調べた。いろいろ悪いことがつづいて起こりすぎたからである。そういうことも関係していたことはありうる。でもそれがすべて原因とはならない、なぜなら人間の不幸は要するに誰にでも起こる、どの家でも起こることなのだ。必ず人間には生老病死があるからそうなるしどこの家でもだから病人をかかえることになるから不幸はどの家でも平等にやってくるのだ。宗教団体に入っても何を信仰していても不幸の来ない人も家もない、かえって宗教団体は不幸な人の集まりだから陰気な暗いものがおおっている。そういう所に入るとかえって悪影響を受けることになるのだ。
家を一番くらくするものは精神の病をかかえた家である。鬱病でもそうである。認知症もそうである。もちろん体の病人もそうであるが精神の病の人をかかえると一番家が暗くなる。なぜならここ四年近く私の家からは笑いが消えていた。私の家に姉がいたとき姉は快活な人であり笑いが家にひびいていた。変わった家族にしろ正常な時は普通の家族だったのである。精神の病気になると鬱病でも笑いが消える、ただ笑いそのものがなくなるわけではない、微笑むことはできるのだ。ただはっはっはっと笑い声なくなる、笑うことができなくなる。おそらく精神の病はみなそうなる。笑うことなど当たり前のことだけどその笑い声が家から消えるから陰気になるし人もよりつかなくなる。そして鬱病の人でも認知症の人を介護していると介護している人も何かしらおかしくなる。みんな鬱病的になってしまうのだ。自分もそうなりつつあった。気はやはり伝播するのだ。そういう暗い家には人もよりつかなくなるのはどうにもならない、ヘルパ-などは仕事だからやむをえず来るということになる。親戚だって来たくなくなるのだ。なぜそして今笑いの消えた家のことを今さらながら自覚したかというと一人の掃除のお手伝いさんが来たことによってそのことを再認識した。その人は姉とにて小太りで陽気な性格の女性でタイプがにていたのだ。その女性が私の家に何回か来て姉のいつもいる場所に座り笑ったのだ。その笑い声が大きな家の室にひびいた。その時、はっと思った。あれ、姉が帰ってきて笑ったのかと思った。姉はこの家を建てたといつも自慢していた家に笑い声がひびいた。しかし今考えると六〇年間一緒に生活してそれは当たり前に家にあったことである。それはどこの家でも笑っていることは当たり前である。だからあまりに当たり前だから意識もしないのである。でも一旦笑いが消えたら人間が笑うことはこんなに気持ちいいことなのだと今やっとわかった。人間は当たり前なことの幸福を誰も自覚しない、人間は不幸を経験しない限り当たり前の幸福を心底からわかることはないのである。不思議な話はその女性が笑ったことにより家まで血液が流れて元気になったような気がした。そんなことがあるのか、やはり家も人間があって活きていた。家に笑いがひびいたとき家も元気になった。家も生き物なのである。だから廃墟となった家はあまりにも淋しいものとなる。
人間はそもそも当たり前の価値を誰も意識しない、例えば歩くことはあまりにも当たり前であり当然でありそのありがたみを意識して歩いている人などいない、でも一旦事故であれ病気であれ歩けなくなると歩けることがどれほど価値あるものか認識することになる。病院で歩けなくなった老人は歩ける老人をどれほどうらやましがっているか見ればわかる。老人になってはじめて青春の価値を理解できるように人間は失ってみて本当の価値を自覚できる。六〇年間一緒に住んで笑うことは余りにも当たり前だからそれが特別のことなのだと自覚しえようがない、しかしそれが一旦失われたときこんなに笑いとは気持ちいいものかとわかった。しかしそれはすでに六〇年一緒に生活していたからあったのだが忘れてしまっていたのだ。四年近くないとその笑いがないことが当たり前に逆になっていたのである。「愛するものを失う悲しみの大きさ(人間はモノで代替できない)」という詩で書いた。八〇才になっても幼くして死んだ子供のことを思いつづけているのも何かモノで代替できないからそうなる。つまり人間は人間でしか代替できない、車がなくなってもその代わりはある。またバスにすればいいとかありうる。でも人間は人間でしか代替できない、それが死別によってわかる。一旦人が死んだらその代わりがない、埋め合わせるものがない、だからいつまでも悲しみがつづくのである。だからその疑似代替として別な人間がその代わりとなってしまう。実際はその人ではないにしろ何かにているとそう錯覚してしまうのだ。今回の経験でわかったのである。どこに本当の人間の価値があるのか、それは家族の中ではやはり家もあるがモノもあるが一番価値あるものは人間そのものだった。これは人間でしか代替できない、つまり笑うということは極当たり前のことだがいくら精巧なロボットでも笑うことはできない、もちろん泣くこともできない、人間だがら笑うことができる。その価値は実に大きなものである。ええ、笑うことがそんなに価値あるの?みんていつも笑っているではないか?それは精神の病になったり一緒にそういう人と暮らしてみないとわからないのだ。笑いの消えた家がどれほど陰気になってしまうか、そのことは経験した人でないとわからないものだった。
愛するものを失う悲しみモノで代替できない
http://musubu.sblo.jp/article/20792247.html