枯木一本標しとあれな変わらずに
近隣の人の助けや冬の鳥
最近認知症のことで頭いっぱいであるから俳句までそれに関連してしまっている。枯木一本が標しというとき認知症の人にとっては身近な世界、なれ親しんだ世界が大事になる。そういう場所では一人で生活している人もいるのだ。近隣の人が助けてくれればできるのである。一本の枯木でも十分助けとなるのだ。そうした近隣の人の助けをみつけたときこれは助けられたと思った。近隣がこれほど価値あるものとは思わなかった。今の世界、経済でも遠くへ遠くへと車社会でなっている。近隣に通りに店などなくなっている。その結果、街でも近隣のつながりがなくなる。高齢者は近隣が大事であるが認知症の人にとってはさらに大事である。
現代の社会は認知症の人にとっては生きにくい世界だとなる。こうした障害者を施設とかに隔離して社会のなかで受け入れないからだ。そうした地域社会を破壊してしまったからだ。そのしっぺ返しがくる。やはり確かに発展した社会であったがその歪みがしっぺ返しがこれから高齢化社会にくるから怖い、70歳で一割80歳で2割となると必ず身近に認知症の人をかかえることになるのだ。それは施設とかで負いきれなくなる。やはりこの社会の発展はかなり人間社会としてはゆがんだものだった。便利さと欲の追及で人間そのものが見捨てられるという逆転した社会となってしまっていたのである。この認知症問題は余りに大きな問題でありこれは人類的問題になる。2040年には8千万人が認知症になるというからそら恐ろしい現実なのである。
2006年01月24日
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