2009年05月10日

江戸時代の俳句(二本松の寛文時代の俳句)


江戸時代の俳句(二本松の寛文時代の俳句)

 
三春迄着るや岩城のちゝみ布   斎藤親盛
 

 「三春まて」「岩城宇尓、縮布」(『毛吹草』)。岩城名産のちぢみ布は、三春の人々まで着ていることだ。如儡子は『梅花軒随筆』の著者・三休子ゆかりの地・三春に出かけた事があったのであろう 
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/bungei/18/haikaige.html

 
寛文12年(1672)だからこの句は古い、芭蕉が出るのは元禄である。元禄1(1688)だから20年後になる、でもその前に俳句らしきものが二本松とか地方でも作られていた。
 
 笠鉾やかけ奉るひたち帯        春一
 
常陸国鹿島神社で、一月一四日の祭礼の日に行われた縁結びの帯占。布帯に意中の人の名を書いて神前に供え、神官がこれを結んで縁を定めた。鹿島の帯。
 
東ちの道のはてなるひたち帯のかことはかりもあはんとそ思ふ(新古今1052・古今六帖3360
 
常陸帯は全国で知られていた。常陸は陸奥ではない東道(ち)である。
 
あけぬるや雲のいつこにいかのほり 春一
 

関西方面ではイカ上りであり江戸では凧(タコ)と言っていたことである。1675年に、京都の俳人伊藤信徳が、江戸で「物の名も蛸(たこ)や故郷のいかのぼり」と詠んでいるし、同じ物でも土地が変わると名前も変わる。北前船で新潟と交流があり関西の文化が入りイカノホリと蛸上げを俳句にした。二本松では蛸上げとしていたのか不明である。
http://www.musubu.jp/hyourontakoage.htm

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