
六号線我が走り行く朝桜
六号線に沿いて飛び来る燕かな
六号線新住宅地つばめ来る
鶯の朝競い鳴く池広し
知らざりき溜め池二つ春田かな
隠されし溜め池大きく春の鴨
春の朝鶏(カケ)鳴きあいぬ片倉村
碑き一つまた古りぬかな春の暮
渡辺の墓の三つや春の暮
大石の四つ五つや花の影

桃源郷は山の中にあるとは限らなかった。六号線は国道であり燕 もこの六号線にそって飛んできたように思える。六号線の脇道ち入るとひっそりと新しい住宅地がありそのそばに大きな溜め池があった。広々として気持ちがいい、鶯がなき田畑があ桜が咲いていた。溜め池は他にもありそこに春田があってのどかな田園風景があった。ここは知らなかったので隠されているようにあった。近くでも知らない所はあるものだと思った。この道をたどってゆくと磐城太田駅の方にでた。ここは磐城太田駅に出る近道だった。自転車でいつも津島に行くとき六号線を行くと遠回りしていた。ここに近道があったという発見があった。一二キロでも自転車だと遠く感じる場合がある。ここから片倉村へ行きダムの道を通って津島に向かった。片倉村で墓地を見たら渡辺の姓の墓が三つあった。分家した墓であり分家がふえたから墓もふえたのだ。ここも江戸時代からつづく村だった。ここでまた残念なのは高速道路がここを通り風致が破壊されたことである。高速道路ではかなり風致が破壊される。鉄道は風致を破壊されるとは感じない、当時の人は鉄道に反対した人もいたから相当な影響があった。高速道路に反対する人はほとんどいない、反対する人はインタ-ネットにいるがほとんど注目もされない、なぜ日本人は風景とか風致とかの破壊に無頓着なのかわからない、高速道路のそばに住むのは嫌にならないのか、のどかな山村の風景が破壊されている。かといって六号線などは国道は今では必須であり否定できない、でも高速道路はそれほど必要なものなのか大きな疑問である。田舎でも過剰に道路が作られているからドライブはどんな山の中までもできるから人が入ってくれば活性化されることはある。ただ高速道路はかなり自然を破壊する、村の景観を破壊するものだと実感した。
春の日、発見された近道、穴場
昔の道について(南相馬市原町区)
http://musubu2.sblo.jp/article/28422250.html
この文は俳句と一体となった文なので俳句を理解するにも読んでもらいたい・・・