2009年04月09日

白椿

moontubaki12123.jpg
 
 


白椿また一輪の開きつつ雲雀鳴く声ひびきけるかな


白椿一輪咲きてあどけなくまた一輪や月のやさしき

白椿争いやみて二輪咲きしかれども姉なき淋し我が家族かな
 
 
自分の家族は複雑だった。こういう家族自体めずらしいだろう。これとにた家族は普通にある。しかしにていても相当違っているからこういう複雑な関係のなかにあった人もまれだろう。だから普通の人にはわからない、どうしても他者にはわからない内部の事情は必ずある。今は二輪ひそかに白椿が何事もなく咲いている。月がやさしく顔をだして見ている。死者の不思議はもはや何の文句も言わない、何か自分を主張することがないのだ。生きていればどんな人でも何かにこだわりつづけるものがある。生きている限りなにやかにやと自分を主張する、死ぬとそれが全くなくなるのも不思議である。人間の死もいろいろあるが女性の場合家族の中での死が大きな意味をもつ、女性は家族の中で主要な役割をもっていたからだ。人間って死んでからその人のことを想うことがつづく、その人のあった存在意義を問うことになる。認知症になったとき百回も同じことを聞かされて嫌になっていた。頭が痛くなっていたが死んでしまうとそうして懸命に言いたかったことが頭から離れない、戦争のこともそうだがそんなに言いたかったことがその人の人生で印象に残ったことだからでありそれがその人の人生でもあったからである。ともかく60年も一緒にいたんだからなかなか死んで終わりとはならない、死者は自分の中で何かを語りつづけている不思議がある。人間は死ぬと何も主張したり語ることはないが残された身近な生者を通じて語りつづけているのだ。歴史のなかでも延々と千年二千年前のことが語りつづけられるのが歴史である。死者が語られるとき死者は死なず生者の中に生き続けるのが歴史である。
 
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