テレビではレ-ダ-に写れば警報が鳴るという、それも鳴らなかったのになぜ政府やメデアを巻き込んだ誤報になったのか?これはヒュ-マンエラ-だった。高性能のレ-ダ-はミスしない、ところが人間は必ずミスをする。人間のミスは何から起きてくるのか、人間には恐怖心とかから思い込みとか妄想とか見えないもの見るのだ。それは心に恐怖心があればその恐怖するものをないとしても見る、影すら敵だと思い襲うことになる。戦争では恐怖心の塊りとなるからベトナム兵がひそんでいないかといないのに恐怖心で銃を乱射して関係のない民間の人を殺す、戦争では民間の人が犠牲になるのは民間人の中にゲリラが潜んでいると思う、恐怖心なのである。恐怖心がありもしないものを見たり拡大化して見たりするのはアメリカの戦争ではいつでも今も起こっている。誤爆も常に起こっている。ヒュ-マンエラ-は人間である限り避けられないのだ。どんなに高性能なレ-ダ-を配置しても人間がそのレ-ダ-を監視しているしその監視する人間が誤ればその機械も役に立たない、結局判断するのは機械ではない人間である。その人間は必ずミスを犯す、それは恐怖心とかが払拭できないからそうなる。戦争では昔から人間の恐怖心を利用すること戦略をしてきた。兵が実際はいないのに松明を多数かざしているように見せたりとかいろいろ敵をだますことをしてきた。恐怖心をもっているからないものでもその時の緊張感で拡大化されるのだ。北朝鮮がミサイルを打ってくるな打ってくるなという極度の恐怖心が見えないものまで確認されないで誤報された。ダブルチェックもしないで誤報された。一人の人間だけに頼るのは危険だからダブルチェックは必要だというのはわかる。
●機械の方が冷静でも判断するのは人間
人間はなかなかこうした場面では冷静になれない、機械の方が冷静であり忠実に被写体となりレ-ダ-に写し警報を鳴らす、でもその前に人間が恐怖心のあまり見えないもの見えたと誤報してしまったのだ。人間の眼は機械の眼と違っている。デジタルカメラでもある一点を注目するがその回りの状況は注目できない、ある一点をフォ-カスするのに人間の眼と脳は向いている、でも全体の状況を瞬間的には見れない、そういうことをデジタルカメラで経験してきたからわかる。写真で窓のバラを注意して見ているがその前に大きな樹の影が写っていたことがわからなかった。これは前の家の庭の樹だった。白い薔薇が咲いていたのもよくわからなかった。赤い薔薇には注目したのだが全体の中に写っているものは人間の目ではとらえられないし記憶できない、細部を記憶しているのは機械の方が優れているのだ。でも機械がいかに優れていても最終的には人間が判断するのであり機械ではない、機械は万能ではないのだ。だから人間の恐怖心が判断ミスを犯すことはこれからも起きてくる。それがやはり核時代では怖いことになる。恐怖心からミスを犯し核を発射することさえありうる。兵器をもっている限り完全に管理することはできない、銃がかってに発砲することも起こっている。銃自体が殺人を引き起こす元凶となる。銃をもてあそんでいるうちに殺傷事件にもなった。人間はそうした兵器や機械を制御できず機械が暴走することがある。そういう危険が常に現代にはある。車自体勝手に暴走しして止められず事故になっていることは日常的にあるからだ。それが核となると恐ろしい結果となる。
●核がある限り恐怖心は消えない
一方でかえって恐怖心をもたない危険もあった。太平洋戦争ではアメリカはたいしたことないとかアメリカの強大さについてわからず恐怖心をもたなかった。巨大なものも弱小化してみるのも人間である。それは知らないから恐怖心をもたない、いくらアメリカが強大な国なのかと言っても知らなければ恐怖心を持ちようがないのだ。だから勝手に日本では情報は日本だけで作り上げられてアメリカがいかに強い国なのかは一方的になり報道されなかった。報道がかたよってしまったのだ。人間は恐怖心をもちすぎてもまたもたなくても判断を誤る、ヒャ-マンエラ-は避けられない、とするときやはり危険な核などどこの国でも持つべきではないのだ。それだけで致命的なものとなる、誤動作から人類破滅とさえなる。そんな危険なものをかかえること自体リスクが大きすぎるのだ。もし誤動作で核のミサイルが打ち込まれて核を持つ国同士が全面戦争になったらどっちも破滅するだけである。核戦争には勝者がないという恐怖なのだ。どちらも滅びる、核をもっている故に戦争が抑止されているというのも皮肉である。でもそれは人類がダモクレスの剣の下にあることであり恐怖の中にある。だから恐怖心がいつ助長して誤動作してくるかわからないから核をもたないことにこしたことはない、核がある限り人間の恐怖心は払拭できないからまた誤報があり恐怖におびえる生活になる。

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