(内子)
庭広く蔵のいくつか春の山
街道を内子に来る春の山
街道の四国の辻や春の山
碑も古りて遍路交わる春の山
春の山旅は道連れ遍路かな
四国は春にふさわしい、内子の豪商の家の門を入ったら中は広々とした庭があり蔵がいくつかあった。四国は旅するには一番ふさわしいかもしれない、遍路がどこにでも歩いている風景はここしかない、歩いて旅している場所は日本では四国しかない、あとは歩いて旅していると異様なものとして見られるのだ。それだけ人間は歩かなくなった。すべて車だから歩いてあうということもない、歩く旅を経験するには四国に行くことである。自分も自転車だから歩く旅をしていないし、経験したことがないのだ。旅は道連れなどというのも遍路だとありうる。相当数の人が歩いて旅しているからだ。昔は江戸時代はあのようにして人は歩いて旅して交わっていた。遍路の装束の人に出会うとなんか本当に江戸時代にタイムスリップした感じがした。そこに江戸時代の継続を感じたのだ。山伏の格好をして街を歩いても今では異様である。四国ではそれがなお風景としてあっていることが不思議なのである。遍路の道には古い碑が多い、遍路で死んだ人も多い、碑が建てられたのは裕福な人であり建てられない人が多かった。遍路は東北の人がかなり行っている。どこにでも金比羅の碑がありこの南相馬市の鹿島区の栃窪村からも金比羅参りのための箸蔵寺への道標を寄付していたのである。金比羅講があり布教して金比羅へ導く人が東北にもかなりきていた。どこの村にも金比羅参りに行った記録が残っているからだ。この金比羅参りは江戸時代の後期から盛んになり明治までつづいていたのである。東北でも全国的に金比羅の碑が多いのである。遍路にまつわる話はいろいろあり今もつづいている。インタ-ネットに遍路の話は情報は豊富である。それを郷土史で書いた。
ずいぶん30年間も旅したけどこれでも本当に旅したのかというとそれほどでもない、いつのまにかに旅も終わってしまったのかと旅をそれほどつづけても人生はつくづく短い、何をしても何をしなくても人生は短いものである。あっというまに夢のように消えさってしまった。せめてこの世の生きた記念に四国を大地をふみしめて歩いてみるのもいいだろう。年をとると体力的にはきつくなるがそれもこの世に生きた最後の記念である。一番いい季節は春である。今やただ思い出す旅をしているのも不思議である。ここ三年以上は旅らしい旅をしていない,一日泊まる旅をしただけである。そして今や長い旅には行けそうにない、やはりこれだけ旅をしてきたとなると旅にこだわる。
鑑賞
命二つの中に生きたる桜かな
これは芭蕉が俳句を教えた服部土芳にあったときの句である。20年ぶりに会ったのである。江戸時代には離れたら簡単に会えない、今なら新幹線でも飛行機でも合う気なら外国でも合える、そこが根本的に違っていたのだ。遠くの人と合うということはそれだけ貴重なことになっていた。一旦分かれたら二度と合えないとか普通である。しかし今は別れてもいつでも合う気があれば合えるのだ。だから人間が合うことの重みが薄れた。いつでも合えるじゃないか、どこにいても合えるじゃないかとか合う重みがないのである。ということはかえって人間はいまこうした句は作れないのである。自分もこれがそういう背景があるのを知らなかった。やはり俳句は背景をしらないと鑑賞できないのである。特に江戸時代はそうなる、今の感覚では鑑賞できないのだ。
命二つとは20ねんぶりにあってこの世に生きて桜をともに見たということなのだ。20年ぶりの歳月を知らずしてこの句は味わえないのである。