東風(こち)吹いて鳴き始めたる雲雀かな
頬になお東風も冷たき東北は
西風、北風ではないけど今日も寒い、確かに東風だったけどさむい。でも雲雀が鳴きはじめたからそろそろあったかくなるのか?今年は結構寒く感じる。実際今の時期、春北風とか東風とかが交互に吹いたりする時期である。東風でも(東風吹けば思い起こせよ梅の花・・・)の京都の東風は海がないだから全然違った風の気がする。そもそも京都に住んでみないとどんな風が吹くかわからない・・・・
妥女の 袖吹きかへす 飛鳥風 みやこを遠み いたづらに吹く 志貴皇子
この飛鳥風もどういうものなのか、かつて都であった飛鳥に吹く風、飛鳥風というだけでイメ-ジ的にそこでしか作り得ない風、何かにおってくるような風である。飛鳥風がすでに一つの固有名詞のようになっているのも歴史なのだろう。
丸森は相馬から峠を越えたところにある。そこにも東風が吹いた、それは確かに山の方から吹いたのだが一瞬、海から吹いて山を越えて東風が吹いてきたと感じた。それで「東風(こち)吹いて峠を越えむ相馬へと」となった。風越峠があるのはまさに風が峠をこえてふいてゆく、やはり風が関係している。だから京都のような盆地で吹いてくる東風はどういうものなのか住んでみなければわかりにくいだろう。要するに風はその土地土地で多様なのである。だから風はわかりにくい、歴史と風土が一体となって飛鳥風となったりするのもあるし海で感じる、漁師が感じる風もこれもわかりにくい、海に吹く風は漁師は船を操る人は必ず知らなければないものだろう。
そうそうと風吹きわたる山原や中国近みや沖縄の海
沖縄にくると方向感覚がかなり変わってくる、わからなくなってくる、山原から日本はどのへんかとなるとわからなくなる。むしろ中国が近い感覚にもなる。沖縄は一時中国と交流して中国文化圏に入ったからそれもその土地に行けばわかる。車とか電車は風を感じないから旅になりにくいのだ。旅人は風を感じる必要があるのだ。現代で旅人が喪失したのは風を感じないからである。沖縄もなんとか自転車でほぼ一周したから風を感じたから旅したとなる。