2009年03月06日

一つ松の話(松は日本人に最も親しい樹)


 

我がよりぬ松一本の我を知る誠実にしてその松による

そが友は誰にありしやこの道の一本松(ひともとまつ)や我を知るべし

人の世よ偽り多く嘘多き松誠実に我はよりにき

尾張に直(ただ)に向へる 尾津の前なる一つ松、吾兄(あせ)を

一つ松人に在りせば 太刀佩(は)けましを衣着せましを 一つ松、吾兄を 

日本武尊

 一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清きは 年深みかも. 市原王

岩室の 田中に立てる ひとつ松の木 今日見れば しぐれの雨に

濡れつつ立てり ひとつ松 人にありせば 傘かさましを


蓑きせましを ひとつ松あわれ・・・・良寛
 
樹にはいろいろあるけど松は日本人にとって一番親しい、松はまた一番人間的なのである。人間に近いのである。だから擬人化されるのだ。松はそんなに高くはない、杉でも他の樹は高いから友というふうにはなりえない、松は人間が立っているように見えるのだ。松はまた誠実に見える。誠実の象徴としてふさわしい。樹もいろいろ精神的に象徴化される、やはり本当に誠実を具現化している。あんまり細いとふさわしくないがそれなりの幹の太さがあると誠実とか質実とかがにあうのである。上野霄里氏流に言うと自然の中に原生質がありその原生質というのは神しか作り出せない、コンクリ-トは原生質がないから映えない、自然の美質、原生質があってこそ人間が作ったものも映える。樹であり大理石であり土であれ素材は神から提供されのだ。もちろんすべての素材は食料でも神から提供されているのでありいかにも人間が作ったようにみえてもすべて神の神秘の知恵から作り出されたのである。米一粒でもそうだしそれは神秘的なものであり科学では解明されない、なぜなら米一粒でも大地と太陽の光と水と様々なものから養分をとり実ることができるからでありそれは神の神秘の業なのである。でも今やあたかも人間が作り出したように錯覚するようになったのである。だから神に感謝することもない、ただ人間が作り出しものとしてむさぼるのである。文明は神より人間の力が大きなものとして写る、文明があって食料でも何でもあらしめられるような錯覚に陥っているのだ。だから一粒の米から神秘を感じて神に感謝するようなことはない、そこに文明の傲慢が生まれたのである。
 
岩代の浜松が枝を引き結び 真幸くあらばまた還り見む── 有間皇子
 
これも松が誠実なことを示している。松自体が信仰の対象のようになっていた。松は日本人の文化であり江戸時代でも松並木とか松が景観を作っていたから美しかったのである。昔の道は狭い、広い道路は少ない、そうした細道に松並木がある、松に導かれて歩いてゆくように広重の浮世絵でも描かれている。日本人はあまりにも景観に無頓着であり破壊しすぎたのだ。高速道路も全く景観を無視して破壊する。物流にはいいのかもしれないが松と人間が語り合うような悠長な世界は喪失したのである。そういうことが実は人間の精神にも相当な影響しているのだ。精神を荒廃させる。自然の中に美徳がありその美徳があるゆえに人間も美しくありうる。大都会がいくら豊かでもそこに美がないのは自然の背景が全くないからである。高層ビルを背景にして美は作り出せないのだ。

 
砂をふみ松の間歩み秋の日や敦賀の入江に船泊まるかな
 

青松白砂という日本独特の風景もいたるところで喪失した。気比の松原とか虹の松原はまだ残っている。砂をふむということがなかなかできない、砂浜は相当浸食されたり日本から失われた。
 
真木の葉のしなふ背の山偲はずて我が越え行けば木の葉知りけむ

天雲の棚引く山の隠(こも)りたる我が下心木の葉知りけむ
 
この万葉集の歌なども不思議である。木の葉知りけむ・・というとき自然の中に入っていくとき、自然は何の言葉も出さない、拒絶もしない、しかし自然は荘厳であり清浄の神域として感じられていた。木の葉があなたの心をしるとなると不浄な人は本来自然と接触できないことも意味している。でも実際はづかづか自然の中に入って乱しているのが人間である。でも「我が下心木の葉知りけむ」というとき下心というとき何か人間の心をみすかすものが自然にある、自然がみている、木の葉が見ているとなる。ここには自然を神とした神道の基がある。松による心は誠実でなければならない、一方で松にも心があり松の方からも人間を見ているとなる。もし自然に松に近寄る人間から毒々しいもの発していたら例え見えないにしても心が汚れていたら松は見ているかもしれない、いづれにしろそうした自然に対する畏怖は本能的に万葉人辺りでは感じていたがだんだん忘れられて単なる美的なものとして自然を見るようになってきた。だから今のように高速道路であれ何であれ大規模な自然破壊にも何の感覚もないのだ。自然に対する畏怖は喪失して文明の無謀な侵略のみがあるだけなのである。
 
 

松を友とする秋の短歌
http://musubu.sblo.jp/article/l6450384.htm

 
 
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掛川
 
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