2009年03月05日

春の来れど(介護のスキンシップは思い出に残る)


ゆうたりと春日に浮かび鯉泳ぐ


姉笑う姿時々現れて消えしや春の日この道帰る

病院に通う日々はすぎにけり梅を手折りて我が帰るかな

手をにぎりつきそいし日もすぎにけり春の来れど姉はなしかも
 
 
人間は家族を亡くすとそのあと一年くらいは喪なんだなと思う。まだやはりその存在が生々しいのである。事情は複雑でも60年一緒にいたことが影響したのである。こうなると人間は一体化している。合体化している。だから死んでも以前としてその人がそばにいる感覚が消えないのである。体をふれることはほとんどなかった。ただ認知症になってからむせる、嚥下障害がでてきて背中さすったり入院してからはリハビリで体を良くさすったり抱いたりした。そんなことしていなかったのでそのことが今でも印象に残っている。丈夫なときはスキンシップを親でもしない、介護になるとスキンシップを自然とするようになる、リハビリでもするようになる。スキンシップを愛情を通わすに効果的である。それで認知症介護でうまい人がNHKでやっていたがしきりと一緒に体をよせあい寝たりしていた。あれは認知症の人に効果的である。不安感も解消される。体でコミニケ-ションする、頭でコミニケ-ションすることがむずかしくなっているからだ。でも嫌われたらできない、認知症の人は好き嫌いがはっきりしているから嫌われたら介護すらできない、でもそれだけ好き嫌いがはっきりするのだから嫌われる人も多いのである。好かれる人は少ないと思う、だからみんなが認知症の介護を上手にできない、できない人の方が多いだろう。
 
ともかく病院に半年も通ったことはそれなりの思い出となったがここではそんなにいいつきそいとはならなかった。夜は不安で騒いでいたしそばにもっといてくれと言っていたが三日に一辺しか行かなかったからここが心残りになった。まさか半年くらいで死ぬとは思わなかったのだ。  でも手をにぎったり体をさすったり抱いたりしたことが思い出として残ったのである。最後のときそうしたスキンシップがあったことが心に残ったのである。老人の介護が大事なのは最後の時をともに過ごすことになるからだ。これが余りに長くなるとまた死後の感想も違ってくる。私の場合は意外と短くして死んだなと思う、五年とか十年となる限界だろう。それだけの力が自分の家にはなかった。今また一人介護状態になりつつあるだ。高齢化社会は保険の問題をNHKで放送していたが誰が老人の病気の治療や介護の負担をするのか、国民保険ではまかないきれないから会社が負担する金をふやすようになった。でも不景気で負担しきれないとなり本当に老人に金を出すのはごめんだとストすら起きてくるかもしれないほど深刻なのである。病院は全部老人病院になっているからだ。外も家もいいことがなくなった。不景気でさらに老人に対するプレッシャ-が高じてくると老人は早く死んでくれと本当に何らかの行動にでてくる若者がでてくるかもしれない、それほど負担が大きすぎるのだ。
 
 
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