映画みていないし納棺師という職業があったことも知らないから語ることはできない、でもおくりびとになったのは葬儀したのは半年にもなっていないからまだ生々しい。まだ死者は身近にある。そのことをいろいろ書いてきた。死者とは何か、死んでも死者との交流はある。死人と接することは実際は気持ち悪いことである。一晩だけ一緒にいたけど気持ちいいものじゃない、ただわたしの家族はもともと太った人で陽気な女性だった。顔がやせこけていない、病院でも死ぬ前も死んでからもふっくらしていたのだ。でも死ぬと手をしばったところがぺこっとひっこんでいたのが気持ち悪かった。死者と接することは気持ちいいものではない、確かにあんまりなりたくない職業である。こういう仕事をしていた人は差別されたというのは確かだろう。特殊な仕事である。例えば豚の屠殺場のあとに老人の介護関係の施設ができる。だけどその場所が嫌なのである。そこでは大量の豚が殺されたし大量の豚の血が流れた。そこに豚の怨念がたまでいるのではないか?何かそうしたものを理屈ではなく感じてしまうのである。別な倉庫のようなものならいいが老人の施設にするのがあっていない、まだ屠殺場で使ったものがおいてある。なんとなく嫌なのだ。自殺したり殺人したりした部屋に入りたくないというのもそこになんとなく死者の怨念みたいなものを感じるからだろう。これは理屈ではない、人間なら誰でも感じることだからそれを否定することはできない。
でも死者をおくることは重要な仕事である。最後を見送ることは貴重な時である。なぜならすぐに骨になり形もなにもなくなって二度とあえなくなった。死人のときとまた灰となってしまったのとは違う。人間の死はあまりにも落差が激しいからとまどうのだ。死んだら灰となったら何も残らないからだ。その突然の落差がショックなのである。目に見えるものが突然二度と見ることのできないものとなる。その断絶があまりに大きすぎるのであとあとまで尾を引くのである。なぜこのような映画が話題になったりするが、これは極めて現代的テ-マとなってしまったからだろう。死者をおくる儀式とか文化の喪失である。共同体の喪失である。現代は何でも専門家に分業して頼むようになった。死は葬儀はこれまでは村全体のものとして死者を葬った。それは単なる儀礼ではない、村で心から死者をいたむことがあった。だから死者は死んで山の神となり村を守るとかの信仰になった。何かそこに今にはない死者を意味づける文化があったのだ。ただ正直そうした葬儀は手間暇と金がかかりすぎた。そして実際は儀礼的なものになっていた。おくりびととは本当に死者をいたむ人であるべきなのだ。私の家族は認知症になったときこれまで長年親しく人もよりつかなくなった。特殊な病気で嫌われるのはしょうがない、だから死んだときも関心をもっている人はなくなっていた。生きているときから捨てられていたのである。そういう人がおくりびとになれるだろうか、死者をいたむだろうか、生きているうちにすでに交流がたえた人が死んだからいたむことはない、ただ葬式でも義理で来るだけである。お悔やみをあげてあとは終わりである。
だから死んで丁寧に専門の人が納棺したり手厚く葬むってくれたのは感謝する、でもそれは仕事でしていることだし心からその人を葬るとはならない、第一全く死んだ人がどういう人か知らないから何かその人に対して親しみがないからだ。だから機械的に処理する、病院でも死んだら早く死者をかたづけてもらいたいしかなかった。手を合わせるようなしぐさもない、また一人死にましたよ、早くかたづけてくださいくらいなのである。病院でも葬儀社でも死は日常的だから特別なことではない、日常の一こまにすぎない、ただ家族は一生に一回のできごとであることの差がまた大きいのである。死者は死者とかかわることだけ死のときだけかかわることはありえない、生前からの延長として死もある。生前親しみを覚えない人にどうして死者をいたむ心が生まれるのか、ただ死者には畏れがあり粗末にはあつかえないことは当然だから手厚く納棺して葬るのは当然である。でも葬儀屋では機械的事務的に死者を処理する。そうしてもそれはしかたない、それでも死者を手厚く葬ってくれるから感謝するとなる。いづれにしろ今葬儀から墓の問題と社会が変化してそれに対応できなくなっているからいろいろな問題がでてくる。おそらく今回の「おくりびと」「納棺師」というのが脚光をあびたのは極めて現代的問題となっているからだろう。
映画も納棺師も読んでいないので正直批評はできません、ただ死者とかかわったのでその経験から書いただけです。
ここに批判が書いてある
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/6bda58396361d97dbe36a85985909634
近くにNPOの福祉(介護?)施設屠殺場跡に建つことの問題(差別はなぜ起こる)
http://musubu2.sblo.jp/article/27256139.html
郷土史とも差別の問題は深くかかわっている。それで別に差別の問題を調べて書いた。
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