2009年02月16日

岩手県の自然のバックグランドから人物も生れる秘境岩手県に育まれたもの(原生人間-山人-賢治)-詩

 
 

岩手県の自然のバックグランドから人物も生れる(東洋、国風文化の回帰)
秘境岩手県に育まれたもの(原生人間-山人-賢治)-詩
http://www.musubu.jp/hyoronmorioka.htm#back

 
文化が生まれるバックグランドは自然である。なぜ岩手県から賢治とか啄木とか上野霄里氏が生まれたのか、それはやはり岩手県という広大な原始的自然が残されていたからである。人間はいくらその人が天才であっても自然のバックに映えるものであり広大な自然の作用があって映えてくる。ドイツの文化とフランスの文化の違いも隣り合っているのにこれほど違うのかやはり北方的風土と南方的風土の相違があったからだ。上野霄里氏の原生人間の思想も岩手県にふさわしいし岩手県という広大なチベットのような自然をバックにすると了解しやすくなる。そもそも東京の大都会をバックにしたら何が生まれるのか?そこには奇怪なカルト宗教であり異様なものしか生まれない、全くの人工的空間になってしまっているからだ。巨大なビルの谷間で人間は蟻のようになってしまっているからだ。そこで人間が巨大だと言っても誰も実感しない、でも岩手県のような大自然をバックにするとき人間は巨大だとか神話的だとか言っても違和感がなくなる。魔法だとか秘薬が生まれると言っても何か実感を帯びてくる不思議がある。山伏などは山野を駆けめぐり自然の中で何か会得したものがあるから今のカルト宗教団体より秘術的なものを身につけていたかもしれない、これを今の現代科学の時代からするとかえってカルトだとか非科学的でまやかしだとかなる。でもなぜ現代がカルト宗教がこれほど社会をおおっているのか?それもやはり奇妙なパラドックスである。自然から全く離れてしまった、人工的空間に異様なカルトが生まれ繁茂している不思議があるのだ。それは明らかに過度の文明化から生まれた病理的現象なのである。だから過去を今の科学からすべて否定するとき実は現代の文明こそ異様な怪物を生み出している。人間も自然の一部だから自然から離れると人間も異様なもの人間ならざるもになっていたのである。アウトサイダ-が異様化されてみるが文明人こそ実は異様な存在だということにも気づくべきなのである。
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