奥州栃窪村(現 福島県鹿島町)の住人が寄進した金毘羅参りの
「箸蔵寺百丁」の道標は歴史的事実
http://musubu2.sblo.jp/article/26610015.html
江戸時代は資料が豊富だからよくよく調べれば歴史的事実を証明できる。そこが郷土史でも面白い。まず歴史的事実の確認が歴史を知る基本である。江戸時代はそれができるのだ。具体的に資料からでもそういう人が生きていたということで親しみを覚えるのである。こう書いてあっても本当なのかと思っていたがやはり栃窪に金毘羅の碑が多いのだからそれが裏付けとなるし資料にもある。栃窪村から寄進しても不思議ではないとなる。北海老村から肝入りの人が金毘羅参りした記録が残っていても実際は栃窪に碑が多いのだからそこの住人が金毘羅参りに一番多くかかわたというのが裏付けとなるからこれは真実なのである。