2009年02月10日

日本の塔と中国やがヨ-ロッパの塔の相違 (対象的なものに文化が育まれる)


 

●金閣-銀閣の対象性が文化を育む
 
京都の金閣にしても銀閣にしても一回しか見ていないから良くわからないけどこの対象性が千年の京都の都の文化を象徴している。平泉の金色堂は一つしかない、京都には金閣もあり銀閣もある。その対象性が文化である。対象性のなかに互いに個性を示して輝きあうものがある。そういうものが必ずある。どちらがいいというのではなくどちらも輝きあうのである。利休の侘、寂もいいが豪華絢爛な金の茶室の秀吉の好みもそれなりに全部は否定できない、美はそこにもあった。京都にはそうした二つのものが対象をなして光輝を放つ、みちのくは侘、寂の美しかない、つまりみちのくにはまだ文化は華開いていないのだ。金色堂も侘、寂のなかに朽ちてゆく、五月雨の中に残されていたかつての繁栄の証としてわずかに残されていたのである。ただ文化というのはその土地により個性が歴史が違ってあるからこそ互いに映えるのだ。みちのくには侘、寂、土臭さなどがあっているのだ。ともかくこの文化は対象性のなかに映える。ラテンとゲルマンの文化の相違は明確でありライン川を境に二つの文化は成長してヨ-ロッパの魅力を形成してきたと同じである。 文化は相剋の中に光輝を発する、人間でも天才の資質が異なることにより相剋により個性を発揮する。単純に一様だと文化は生れない、異質なものが交わることにより文化が生れる。そして個性にしても人はないものに憧れる、神経質な繊細な人はどうしても大胆な豪胆なおおらかな人に憧れるのである。それはその人にない資質だからである。これは別に芸術でなくても男女の仲でもそうである。同じ性格の人より違った性格の人に憧れる。そもそも男女は性格を補いあうからこそ男女なのである。
 
●ヨ-ロッパの塔と日本の塔の相違(日本の塔は優美、ヨ-ロッパは強固)
 
塔にしても欧米の塔はwatching towerであり敵が攻めてくるのを監視する実用的塔でありだから中国の仏教の塔でも日本の塔とは違っている。高いし厳格な塔なのである。日本の塔は五重塔でもそうした歴史的性格がないから優美なのである。中国人が見たらこれが塔なのかとか同じ仏教でも違ってくるのだ。欧米の歴史は異民族の戦いの歴史だから民族みな殺しとか負けたら奴隷にされるとか厳しい戦いだから万里長城とか作ったりするからそこが日本の文化とは根本的に違う厳しい文化なのである。中国などと対照的に見ると日本の塔は優美である。日本の文化は繊細で優美なことが特徴になる。あまり荒々しいものがないのだ。
 
春日さし五重塔や鳩とまる

奈良に来て塔に雀や蓮華かな

秋日さし室生寺に休む女性かな
 
こういう感覚は日本的風景だった。中国は荒々しいし仏像でも厳格である。あまり柔和さがない、日本人好みなのは柔和なことである。大陸的なものは厳格であり日本的なものは漢字と比べたかなのように柔和な女性的なものとなる。漢詩は男性的でありかなは女性が発明したように女性的なものが日本の文化の基底を作っていてそれで優美であり柔和なのである。つまり唐心があり大和心があって対象性があって文化は育まれる。大きく世界的東西の文化でもそうである。かならず対象的な文化がありその対象性の中に文化が育つ、日本でも西の都-京都を軸として文化が生れたが東を軸として関東の武士から鎌倉文化が起こった。これは中国でも南と北は性格が違っている。南は温和であり北は異民族と接して厳しく寒い風土である。南船北馬とか稲作と麦の相違とか遊牧民文化とか違っている。 これはヨ-ロッパでも同じだった。ラインを境にして狩猟民、遊牧民の厳格な北方のゲルマン人の文化でありそれがゴシックの大聖堂として結実した。要するに北と南の文化は対象的になる。北的要素と南的要素が融合してルネサンスが生れる。それはフィレンツでルネサンスが起こった要因である。それは男女の性格にも通じている。南は女性的になりやすいし北は男性的になりやすいのである。その二つの要素があって文化は興隆するのである。
 
●塔は街全体の一部として構築された
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%94#.E5.A1.94.E3.81.AE.E5.AE.9A.E7.BE.A9
 

ここにいろいろな塔の写真があるがヨ-ロッパの塔は監視の塔が多いから教会でも要塞でありそこから敵の侵入を見守るものだから日本の塔とは性格が違う、要塞としての塔なのである。
バベルの塔は、町と塔を建てて、その頂きを天に届かせようとする試みだった。町(街)と塔は一体なのである。街から離れて塔は存在しない、日本では街から離れた寺に塔があるのとは性格が違う、中国でも寺に塔があるのだが塔は高いし厳格であり日本の塔の作りとは違っている。塔と城壁と街は一つであり敵から守るものとしてがヨ-ロッパ−ではあった。中国にもそうした性格が受け継がれている。防衛的要塞的だから塔の性格は違っている。塔はまた大陸では広い砂漠とか草原とか平野から目印になるものでもあるから高い必要があったのだ。日本では近辺から見えるだけでいいから高くない、ただ優美に作られていれば良かったのである。

 
山に上り塔の三つや春日映ゆ

春の日や山の彼方に塔映える

百輪の白木蓮や六和塔大河を望み千歳建つかな
 
中国では山に登っても高い塔がいくつもある。大河の辺にもあるしいたるところに塔があり塔の国なのである。
 

a highly centered tower in the clear sky
on the vast  ground
the building one in the city
strength and  concentration 

 
 degree of potency of effect or of concentration 
 
ヨ-ロッパの塔は建築として全体として街を構成するものとして作られている。ヨ-ロッパの都市は塔も城壁も橋も街全体が建築として設計され構築されたものとして積み上げられ作られている。それは終らない建築である。サラダファミリ-の塔などが完成しないのはそのためである。日本には建築の思想が根本的に欠けている。計画的な街作りがない、無計画的に拡大化してゆくからかえって自然破壊に通じているのだ。街が自然の枠を越えて拡大化する技術をもったとき計画的に自然と融合することを設計しなければ自然は破壊される。これまでは技術がないから日本の自然は破壊されなかっただけである。
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