2006年01月12日

定禅寺の喫茶店から送信

teizen2006.JPG


長町の昔の通り冬の暮

仙台の冬やビルの間昼の月

広瀬川橋の袂や冬芽かな

長町ゆ枯木の並木凍る雪橋を渡りて五十人町かな

広瀬川の水際凍りて鴨数羽橋に寄り見つ五十人町に来ぬ

定禅寺去年の落葉や街灯の点りてあわれ夕暮れにけり



長町から仙台へまたハンディバイクで行った。このハンディバイクは街を走るのにはいいがその他は役に立たない、走るのに加速しないから疲れる。必ず汗をかくのである。ただ軽いから車輪も小さいからまさにハンディであり駅の中も車輪をつけたままひっぱることができて楽である。ただ5、6キロ走っただけでもかなり疲れる。まあ、これで長町から仙台まで行くのにはちょうどいい距離だった。自転車だと通りの店を見る。入らなくても見るだけでも見るのだ。ええ、こんな店あったんだなと見るだけでも効果はある。そもそも仙台まで電車だったら見ることさえないからである。

長町から広瀬川沿いをゆくと広瀬川の凍る汀に鴨がいた。そこを遡りまた橋を渡り五十人町とか荒町とかにでて駅まで出て定禅寺通りの喫茶店に休みそこで写真をとりノ-トパソコンからプログに記事を送った。プログは外から通信で送るのにも向いている。文章だけだったら楽である。それでその利用の試しのために送ったのである。仙台というとそれなりに大きいのだが広瀬川があったりビルの間から昼の月がでてたりなんとなくのんびりした空気がまだある。田舎の大都市ともなる。そのくらいがいいのかもしれない、何かそうした間がぬけていたところがないと行き詰まるような世界になってしまう。東京なんかそうである。息抜きするところすらないのだ。独楽鼠のように立間っていなければ人でない感じになってしまうからだ。そういう所には俳句とか短歌ももはや作れない世界になっているのだ。

松の内というと松があるからこそ松の内なのである。ところが都会には松がないのだ。正月の行事は農村社会を基にしている。松の内というとき松というものが回りにあるからこそ松の内なのである。松の枝を田んぼにさして豊作を祈ることなどもあった。松は常緑の木だから常磐木だとか縁起のいいものとして松があったのだ。田舎ではまだ松があるから松の内が成り立つが都会では松の内も実際はなくなっているのだ。正月気分がなくなったというとき正月を作り出した農村社会が工業社会中心に変わったということなのである。
ともかく長町から広瀬川沿いを行き橋を渡るとそれなり情緒が生まれる。昔なら橋の欄干にもたれて寒々として川に群れて浮いている鴨を見ていた。そこから五十人町とか足軽町に行くのだから昔の姿がよみがえってくる。ここを足軽が行き交っていたのである。
すると

足軽のかたまってゆく寒さかな 井上士郎

ここからこの句がしみじみとわかる。江戸時代が人情の世界だというとき暖房も人が寄り合って温め合うとなる。子供の頃遊んだおしくらまんじゅうというのがそうである。みんなで集まりおしあって温まる遊びだったのだ。エアコンもなにもないから人が寄り合いあたためあう世界になるのだ。こうして昔が偲べればそこが昔の人との連続性が生まれ豊かな世界となるのである。


これは定禅寺の喫茶店から送信たもののに文章と写真を加えたものです

もっと歴史に興味ある方はこちらを読んでください

(長町から仙台へ歩きで見えた歴史)
http://www.musubu.jp/jijimondai32.htm#naga
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