2006年01月11日

眠る山

fuyusanku.JPG

前畑の冬菜に月や里の道

幸いは患いかけず眠る山

人の手に湯たんぽ受けとる温かさ

ひよどりに烏に雀年明ける


前畑とはテ-マとなっている。田舎だと農家の前には必ず前畑があるから当たり前だとなるが自分の家の前が庭のようなところが生産の場となっているのは都会ではないのだ。
冬菜というのもその前畑にある。そこに夕べ月がでていた。眠る山は家のなかから外から人の世は患いで一杯であり静かに眠ることがない、都会は真夜中でも眠らない、冬は眠りの季節、休みの季節だから眠るべきなのである。眠るのが自然のリズムなのである。眠らないから鬱病とか四倍になっているとか様々な精神の疾患が生まれて来る。


今年は湯たんぽを毎日していた。エアコンもあるがこの湯たんぽの温かさがいいのである。これを人の手から渡されることに温かみを感じた。人間には人の温かい手が必ずどこでも必要なのである。ロボットに人間の介護などできないしコンピュタ-とか機械に欠けるのは人間の手のようなぬくもりが欠けていることなのだ。つまりすべて機械で人間は代用できないのも自然の理(ことわり)なのである。

鈴が音の早馬駅の堤井の水を賜へな妹が直手(ただて)に

この歌のように直接温かい手から受けとる水だからこそその水は何倍ものうまさとなって疲れた人の喉をうるおし癒すのである。

自然のリズムに反して生活していると様々な狂いが人間に生まれる。痴呆に関してはこれも余りにも自然の法則に反して人間が文明により長生きさせられたことだともなる。植物人間もいるしこれは人間の尊厳死の問題もありやはり自然の法則に反したことなのである。人間がこれほど長生きすることは未だかつてないから痴呆(認知症)という病気がクロ-ズアップされたのだ。ニ-ト問題も豊かな故に起こる問題であった。ひよどり、烏、雀が来てそれぞれに年が明けた。動物もそれぞれ違った生き方をしている。人間も職業が違いばそれぞれ生き方も考え方も様々な面で違って来る。それぞれの新しい一年がはじまったのである。

この記事へのコメント
Hi, good morning to all of you... Nice Guestbook ;-) !!!」
Posted by Anonyme at 2009年04月28日 03:49
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