シリウス星
http://pub.ne.jp/20071203MOTOTO/?cat_id=58126&page=2
インタ-ネットの不思議は今までにないものがでていることだ。詩の分野は限られている。発表する場も限られているしだからいい詩を書いても知られることがない、ただコマ-シャリズムにのったものだけしか書店には置かない、出版そのものが金にならないものは相手にしない、詩はマイナ-ものだから余計にそうである。現実詩人というと今誰を思い浮かべるかというと谷川俊太郎くらいしかいないだろう。コマ-シャリズムにのらない限り出版されない、小説でも出版社が宣伝するからこそ知られるのでありその人とか作品はあまり問題ではない。インタ-ネット時代になったら無数に表現されるようになった。インタ-ネットだと制限なく自分を表現できることが最大の魅力なのだ。本にして出版とかなると普通の人はできないしできてもかなり制限される。インタ-ネットはだから詩とかちょっとした小説とか何でもその人なりのものを簡単に出せる。だからつまらないものが多いから読むに値しないともなる。膨大なゴミが混じるからその中からいいものにあたるのは至難だとなる。でも一編とかいい詩を書く人はいた。この詩にはつくづく感心した。自分も上野霄里氏をイメ-ジして書いたがこの詩の方が数段優れている。この一つの詩だけが特別優れている。他の読んでもそれほどではない、天狼星(シリウス)としてこの詩はマッチしている。
でもこれを書いた女性は別に市井の普通の女性である。それでもこの詩を書いたことに驚く、それが上野霄里氏のイメ-ジと一致していたからである。こういうことめったにないがやはり世界は広いしインタ-ネットの世界は広いことがわかる。埋もれた人の作品がインタ-ネットに出るようになったのである。これまでもいい詩はあっても出版も書店にも並ばないから埋もれてしまっていたのである。不思議なのは特に優れた詩を一つは人間は作れる、その一つの詩だけでも後世に残ることがありうる。詩とはそういう側面がある。この詩はそういうものを感じた。他にもそういう詩があるがなかなか発見しにくい、これはわかりやすいし上野霄里氏のイメ-ジと合致したので驚いた。それでここに紹介した。他の人も感想書いていたがやはり感心していた。でも上野霄里氏の人と思想とは別に共鳴するものはないから残念だとなる。
人は人であるかぎり 独りでは生きられない
月が太陽によって輝くように
人も自分としての存在を
多くの人達の支えと 仕事や愛によって輝かせる
ここが上野霄里氏の人と思想とはかけ離れている。この女性は社会運動家のようでもあり社会にかかわるから上野霄里氏とは思想的にも共鳴する人ではない、こういう思想や生き方は彼にはない、人は人であるかぎり 独りでは生きられない 多くの人達の支えと 仕事や愛によって輝かせる・・・・となるときどうしても社会主義的集団主義になる。予言者でも多くの人たちの支えが全くなかったからである。多くの人たちに援助されようとすれば予言者でも哲学者でも多くの人たちに媚びなければならないしその思想の基準は多くの人たち、大衆にもおねることになる。だからシリウスを詩にしたのは感心するのだがその生き方において反対のものになっている。この言葉をのぞいてシリウスということに焦点をしぼったら良かったがどうしても詩にはその人の生き方や思想が反映されるのだ。
誰にも煩わされず 誰にも指図されない
自ら発光するものの強さが 限りなく畏敬される
このあとの行と矛盾している。誰にも煩わされない、誰にも指図されないとすると多くの人たちの支えと・・・は矛盾しているし、現実の生活はそうなのだからこの詩と生き方がマッチしていない、上野霄里氏からみれば社会から離れられないディレタントの詩人だとなる。もちろんこれは別に知られた詩人ではない、シリウスについて詩を調べて感心したのである。障害者に関心があることでも経験から共鳴した読んだのである。
原生の森の鷲
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