2006年01月08日

冬籠(相馬焼のコ-ヒ-カップ)

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somachwan3.JPG
madeinsoma.JPG


冬籠愛用のカップは相馬焼

my favorite teacup
made in Soma
in retreating days
in winter


このコ-ヒ-カップは前も書いたけど安い割りにはものがいい、黒い光沢が普通の黒と違っている。中は相馬焼き独特の緑のひび割れで走り駒が書いてある。伝統的なものと新しいものがミックスされたのだ。茶碗とかは別に特別高いからいいとは限らないのだ。益子焼からなんでもない江戸時代に使っていた益子焼の美を発掘した陶芸家がいる。芸術は別に芸術品として作られたものではなく日用品として作られていたのである。ベ-シックなところでは日用品であり日々に欠かせないものが芸術化したのである。そもそも芸術というのが俳句でもなんでもそうだがその良さを発見することがむずかしいのである。これはたまたま相馬の道の駅で買ったものだったがそれが愛用となった。その人が使い込み愛用しているものをプログとかに出ているがこれからの買い物はそういう個々人が愛用したようなものがプログなどを見て欲しいとなり売れるかもしれない、それを実行している人もいた。いろいろな茶碗を自分で集め紹介して売っている人がいるのだ。その人は茶碗に造詣深いからできるのである。これからの売り方はインタ-ネットでかなり変わってくる。

そもそも売るということ何かその品物であれ道具であれその人が特別の思い入れが知っていなければ売れないのだ。その点本なんかでもその本に特別思い入れがある人が紹介すればその本が売れるようになる。それは簡単にインタ-ネットで紹介できるからである。書店などはただ出版社から機械的に流れてくるものを置いてあるだけであり何か特別思い入れがあるものを置いたりしないのである。無名の人の本など絶対に置かない、出版社が権威を持っていてそれに従うだけである。これからの物を売るときは個々人が使った使い具合が紹介されるから物の売り方が変わってくる。テレビだけの一方的宣伝の時代は終ったのである。プログは24時間放送体制にある。プログの応用はまだかなりあるみたいだ。検索とかもしやすいから俳句とか短歌を分類して検索されるようにするのがいいみたいだ。枯木一本で夕月と使ったがこれは秋の季語だった。夕べ出る月だから夕月としたが月細しとなおした。夕月というと春とか夏の感じしないか?季語は本当は完全に決まったものではないこともいえるのだ。冬の夕月というのはふさわしくなかったことは確かだろう。

made in Somaは相馬焼くらいしかない、地方独自の産物が必要になって来ることは確かだがこうしたものは一朝一夕には作れないから問題なのである。
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