2009年01月12日

南相馬市鹿島区の発展の順序

 
 

南相馬市鹿島区の発展の順序
http://musubu2.sblo.jp/article/25436716.html

 

太古は南相馬市鹿島区は栃窪まで海が湾入していた、そして江垂でも寺内-小池でもそこは高台でありさらに反対側の屋形や海老も高台でありそこから鹿島町の中心部を見ると確かに低いからそこが海だったとすると相当広い範囲が海でありそれは非常に美しい光景だった。
入江は船着の地名が残る塩崎にもあるがこちらも入江でありそして「陸奥の真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを」という笠女郎の歌はその入江を歌った。草原の草(カヤ)は近江の方言で入江だったとかインタ-ネットに出ていたしカヤは伽耶(カヤ)に通じいたし実際に白人と記された木簡がここから発見されたことはやはり渡来人がなづけた名前だったともとれる。
草原はどうしても萱原ではない、入江の方が有力なのである。

posted by 老鶯 at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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