2009年01月02日

丑の年(新年十句)

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丑(牛)の年(新年十句)



丑の年大地に根ざし歩むべし

晩年や陽の入り静か丑の年

十四五本枯木の道や丑の年

故郷の土踏む新た丑の年

なおも生く反芻しつつ丑の年

読み返す本や反芻丑の年

一人死し新年あわれ餅供ゆ

シクラメンただ日のさして映えるかな

シクラメンかたわらにしてコ-ヒ-飲む

  去年はネズミ年でコマネズミのように動かされた。三年はコマネズミだった。介護になると何かと忙しくなる。家事は結構な仕事なのである。それから入院も半年以上で長かったし死んだあともやはり一年くらいは喪の期間、死者の回想の期間になる。今年は牛の年だからもうコマネズミのように動かずどっしりとして過ごしたい。老人になってくると様々な刺激を吸収できない、刺激は少ない方がいいのだ。青年時代はただむやみやたらと刺激を求める。その刺激も消耗されて終る。革命ゴッコもカルトの宗教ゴッコもただ無益に消耗されて終る。性の消耗もエネルギ-が吸い尽くされるよう消耗される。自分にあっていたのは老人の心境である。すでに20代老成していたから今が一番自分らしく難ているという不思議がある。体が弱くても生きていたからもうけものである。これも環境に恵まれたからだ。これが酷使されていたら死んでいた。
老子と牛に例えて言われるけど老子の言っていることは奇抜なことではない、極当たり前のことである。無味を味わうというとき人間誰しも老人になると刺激的なことが嫌になるのだ。東京の雑踏を青年なら求めて歩いていたけど今は歩きたくもない、どうしても老後は田舎でのんびりというのが普通だろう。自然の一部でもある人間は大地に回帰したくなる。それはまさに本能なのである。まず人工的空間に安住することはできないだろう。人間はあまりに非自然化、人工化してしまい本来もっていた人間の原生性を喪失した。これから日本の土への回帰であり国風文化の再興である。グロ-バル化はアメリカ化でありアメリカ化は極めて物質化志向であり精神性のないグロ-バル化だったのである。仏教文化でもないキリスト教文化でもない、金一辺倒の金融強欲資本主義がアメリカのグロ-バル化でありそれが暴かれたのが今度の大不況だったのである。明らかに戦後60年大変革期になった。それは単に経済的な面だけでなく精神的な面でも大変革になる。過剰な唐風(アメリカ)文化から国風文化の回帰である。日本には回帰すべき国風文化があるのだ。アメリカには国風文化はないのである。文化的なものはない、経済と軍事と技術だけが突出した新興国だった。それももう終わりを迎えているのだ。
牛というと高村光太郎の有名な牛の詩に関心ある人がこんなにいたことに驚いた。なぜなら牛の詩の評論に相当なアクセスが常時あったからだ。牛の年になりアクセスが集中しているのだ

高村光太郎の牛の詩について
http://www.musubu.jp/hyouronkannshou2.htm

 
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