2006年01月05日

枯木一本

月細し松の間に立ち冬の草

月細し農家一軒冬芒

枯木一本裸身の清し月光る

故郷のこの道静か枯木一本また我が寄れば月の光りぬ


冬の草とか冬芒とかなかなか句にしにくい、粛條として冬芒のなかに農家一軒あることは詩であり絵である。誰しもあるところに長く住んでいると同じところを通りそこにいつも立っている木がありそれに親しみを感じる。またここに来たなとなる。今日は夕べ冷たい三日月が出て光っていた。あんなところに利用もしない野球場を作ったりまた温泉を作るとか10億円とかなんか公共事業は無駄が多い。枯木には無駄なものをそぎ落とした美がある。静粛でありそこに冷たい月が光る。冬の月はこの裸身の枯木に光るにふさわしい。茶室の精神も簡潔であり無駄をそぎ落としたところの美を追及したのだ。それは枯木のシンプルな美なのである。

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