2008年12月28日

残る菊-枯菊(一茶の菊の俳句鑑賞)

ochiaihaiku1.jpg 


落合のバス停あわれ残る菊

 
デジカメは新しい芸術を作り出した。写俳という分野である。このバス停でもバス停の文字がフォ-カスされる、焦点になるがその回りは人間は注意しないし記憶できないのだ。あとから見てあれここに菊が咲いていたなとわかった。菊もいろいろあってわかりにくい、晩菊や寒菊とは菊の種類であるというのもそうである。菊にはいろいろありすぎるのだ。残る菊というと晩菊より前の菊となるがいつまでも残って咲いている菊ともとれる。残菊はそうだろう。そしてそもそも俳句というのは俳句だけ読んで鑑賞できる文学ではない、あまりに短すぎるからだ。落合とあってもこうした地名はいくらでもあるから平凡になってしまう。しかし葛尾村の落合は歴史的にも地形的にも奥深い意味ある場所なのだ。それは相馬郷土史研究で書いた。インタ-ネットの時代、キ-ワ-ドから検索してイメ-ジをふくらませることができる。それで次に一茶の菊の句を自分なりに鑑賞してみた。一茶の句を英訳して俳画とともに紹介している人がいた。私のプログにコメントしてくれたけど忙しくて見ていない、今や自分のことを書くことで精一杯だからだ。私も英語でちょっと書いてみたがむずかしい、最近いろいろ書くことがまた多くなって書いていない、外国語でも外国語で自分なりの表現ができれば本物である。そこまでできないからみんなあきらめてしまうのだ。
 

一茶の菊の句  
金の出た菊も同じく枯にけり

時雨るるや細工過ぎたる菊の花

枯菊に傍若無人の雀哉
 
この三年は老人とのつきあいであり自分も初老であるから老いというのを家族が認知症になったことでもいろいろ考えてずいぶん書いてきた。書くのが疲れるくらい書いた。俳句は短いから読みを深くしないと面白さがわからない、写生なんかでもなんだそれだけかとつまらないものとしてしか理解できなくなる。でも読みを深くすると味わい深いものとなるのだ。この一茶の三つの句もたまたままた検索で拾ったものである。金の出た・・・これも良くわからないが特別華やかな金のような菊なのか?それもいつしか枯れてしまった、老人になってしまった・・・細工過ぎたとは江戸時代菊作りが盛んだったからだ。「枯菊に傍若無人の雀哉」これなどなんのことかわかりにくいだろう。枯菊とは老人であり傍若無人とは今の若者だと見ればわかりやすいのだ。その当時は老人は大事にされていたから一茶は何か別なことを言いたかったのかもしれない、俳句でも短歌でも読みを深くしないと鑑賞できない文学なのである。老人になると何でもどんな人でも読みが深くなるから評論にも向いてくるのだ。ある程度人生を経験しないと読みを深くできないからだ。いづれにしろ老人は今や枯菊は多いから全く老人として気づかわれない人も多い、病院でも老人病棟でありただ機械的に下の世話や入浴なども芋を洗うようにされている面もある。数が多いからもうそうした気遣いができないのである。それが今後老人の増加で加速してくる。数が多いということはそうなってしまうのだ。
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