2006年01月03日

なごみの里

nagomi1111.JPG

数軒なごみの里と枯木かな

冬日さし江戸の年号名もなし碑

相馬に来冬の城下や路地の裏

石垣のわずかに残り城跡の遠き昔や冬の日暮れぬ

冬日さし六万石の城の跡遠き昔となりにけるかな


なごみの里ととあったがあそこには家が数軒しかない、なごみの里とあるだけでなごむ感じがするからいい、今年の正月は自分の家にはなごみすらなかったからつくづく感じた。痴呆症はかなりの数いる。これはかなりやっかいなものであることがわかった。

相馬の城は石垣がわずかに残っているだけで城があったという感じもしない、なんか遠い日の世界になってしまった。それでも相馬は野馬追いがあるから相馬藩の殿様がまだ生きているのだ。東京に住んでいて殿様をお迎えしているから殿様生きているのである。こういうことは他ではなくなっているが相馬だけは野馬追いがつづいているからそうなっているのである。

 「五十代はローマ、ところどころに遺跡がある」
 「六十代はエジプト、いたるところに廃墟がある」


http://homepage2.nifty.com/GOMAME/2005/11/051111.htm

ここに詩人たちの同人誌の紹介があった。詩というのも無数にある。ただこうしたものは書店に並ばないからインタ-ネットで公開すれば関心ある人が読むようになる。書店とかもはやこうした文化活動の場として用をなさない、書店に置いてもらうこと自体あきらめた方がいい、書店自体いづれかなりの部分必要なくなるのである。

これが面白いと思ったのは50代がロ-マだいうのはあっている。なぜならロ-マ帝国とは広大な版図があり50代になるとロ-マと同じような年期と視野をもてる時代だからである。過去の人生の思い出も遺跡のように残っているのだ。ところが六十代になるとエジプトのように現代には通じないような遠い過去の遺跡になってしまう。遺跡より廃墟になってしまうのである。遺跡の意味でもかなり違っている。ロ-マの遺跡は以前として現代に通じるものをもっているがエジプトの遺跡はなかなか現代には通じていないからだ。

松川浦にあった名もない墓に 寛永 1624-1644 享保1716-1736の年号があっ。これはかなり古い、東北では江戸時代のものをみるのはまれなのだ。寛永は本当に古い、でもそれが何を意味しているかもはやわからない、なぜあそこに残されたのかもわからないのだ。三が日もおだやかにしていたかったが今年はできなかった。今年はいい年になることはないことがすでにわかったのである。

hakakyoho.JPG

なごみの里、平和(やわらぎ)の郷(さと)を求める時代(2006年のトレンドは国風文化の見直し)(本サイト時事問題32)
http://www.musubu.jp/jijimondai32.htm#na
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/244891
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック