今日もよる姉墓に入り寒雀
今日もよる墓は語らず寒雀
今日は寒いから寒雀の季語がにあう。今日もまた墓地の前の道を行く、姉が死んで墓に入ったので前は病院に通っていたが今は墓に入って語らぬ人となってしまった。語らぬ人となっても毎日墓に手をおいて語りかける。まだ死んで三カ月くらいだから墓地に通うことがある。前は我が家の墓地の前を通ってもここに自分の家の墓があるなとくらいしか思っていなかった。父が死んだのが50年前だから関心が薄れてしまっていたのだ。姉が死んでいろいろまた墓に埋まっている人のことを考えるようになった。実際わかっているのは三人だけなのである。それだけははっきりと記録されている。ただ墓を見ただけではその家の事情や歴史などわかりえようがない、戦死した人でもただ何歳で死んだとしかわからない、でもそこには一人一人の物語が秘められて眠っているのである。たまたまこうした個々の家の事情などがプログやホ-ムペ-ジで語られるようなったから記録として残されればこういう人が眠っているのかとわかるかもしれない、普通なかなか個々の家のことはわかりにくいからだ。ともかく墓所と寒雀はあっている。
余呉の寒雀(写真)
http://www.asahi-net.or.jp/~gr5t-mrkm/kansuzume.html
これがいかに寒雀らしい、雪の中だか余計にそうみえる。余呉というと琵琶湖の西の奥だろう。琵琶湖でも寒い場所になるのだろう。一地域でも気候はかなり違っている。福島県はハマ、ナカ、アイヅと三つに別れているが会津と浜通りは全く気候が違っているから別の国のようなのだ。そもそも会津は別の大きな一国である。ここは山を知らなければわからない、その山がわかりにくいから会津の地理は何度行ってもわからないのだ。人間は近くでも地理はわからないのである。
明日は一関から猊鼻渓に行ってみよう、ここは行ったことがない、日帰りで行けるだろう。近くでも日帰りでも結構行ける場所がある。ここは鉄道が通ってるから行けるのだ。猊鼻渓と厳美渓を混同していた。人間は近くのことで実際はわからないものなのだ。今や近くより日本より外国に詳しいがすぐ近くのことについて知らない人がいるのだ。特にこれだけグロ-バル化したから近くはかえって遠くなっているのだ。宮城県とか岩手県も広いしここの地理もわかりにくいのである。そもそも一回二回くらい行っても地理はわからないことが問題なのである。