2008年12月10日

自動車業界-派遣の解雇-卵かけご飯が贅沢 (玉子は戦前戦後まもなく庶民は食えなかった)


雇用状況の悪化は、自動車業界の派遣社員など弱い立場にある労働者を襲い始めています
 会社から突然、解雇を言い渡された派遣社員の悲痛な叫びを取材しました。

 埼玉県上尾市のワンルームマンション。仕事を終えた男性のこの日の夕食は、玉子かけご飯でした。  「(Q.ほかにおかずは?)たまにの贅沢ですよね。ほとんど卵かけご飯かな」(荒井健太郎さん)
 荒井健太郎さん(27)。職業、派遣社員。しかし先月、派遣会社から今月18日付けでの解雇を 言い渡されました。 雇用状況の悪化は、自動車業界の派遣社員など弱い立場にある労働者を襲い始めています。
 http://news.tbs.co.jp/20081209/newseye/tbs_newseye4013485.html

「ええ、卵食っていなかった、どうして」
「卵は贅沢だから病気のときくらいしか食っていない」
「卵なかったのか、卵はあったはずだけどな」
「農家にはあったから農家の人は食っていたよ、ただ売らなかっただけだろよ」
「そもそも日本人は卵食っていたのか?」
「江戸時代の文献にすでに卵も焼いて食っていたとあるが一般的ではない」
「ニワトリって古代からいたから卵を生んでいた、その卵を捨てるわけはないからなんらか食っていたよ」
「卵をごはんにかけて食うのは日本人だけらしいよ」
「生だとバイ菌が入ることあるから外人は生では食わないよ」
「日本人は刺し身のように生で食う習慣があったからそうなったのか」
「今になると卵すら食えない食事って考えられないんだよ」
「でもさ、子供のとき玉子焼きが好物になってはじめて玉子焼きを食うことが一般化したんだよ、だから「巨人・大鵬・玉子焼き」というのが当時もてはやされた。玉子焼きはやっとその頃みんなが食えるようになったんだから卵はそれまでは贅沢品だった」
http://musubu.jp/jijimondai26.htm#egg

卵は当時農家でも自家用には食っていても商品としては売りだししていなかった。農家自体自給自足的農業であり今日のように商品生産はしていない、それでも放し飼いでニワトリはどこにでもいたし卵は必ず生んでいた。店がはじまった頃、卵を集めることが容易でなかった。卵を買いに行ったのはまず町の方の店屋である。農家から卵を売り出したということはなく店屋で売るものを求めて農家に卵を買い集めるようになったのだ。それで子供の頃私も自転車で卵を買いに行かせられたのだ。卵は箱につめ糠をいれる、それでも必ず何個か壊れていた。道が悪いのと自転車もいい自転車ではなかった。そして橋も土橋でありヤハな橋だったのだ。だからぐらぐらゆれていたのである。卵は今のようにパックではない、バラ売りだった。一個一個売っていたのだ。バラ売りとか計り売りであり袋は新聞で母が毎日作っていた。それがインドの貧しいバラックのようにな店でもインドの新聞で袋作っていたのである。やはり最初は同じだと思った。インドとか遅れた国に行くと日本の昔が再現されるので興味深いものだった。当時は資本などない三文店屋でも商売が成り立ったのだ。駄菓子屋のようなものでも商売は成り立ったのである。昔をふりかえると必ず今とは違って苦労があった。鉛筆を短くなってなくなるくらいまで使っていた話をしたがこれは日本中どこでも同じだった。郷土史でも鉛筆の話は無数にあった。それだけモノが貴重でありモノを捨てるようなことはなかったのである。高度成長期に向かう時代だから物がない時代だから物さえあれば売れ始めたのだ。卵もなかったが卵を農家から集めれば売れるようになった。買う余裕がでてきたといえる。それからニワトリの役目はニワトリの糞が肥料になっていた、馬の糞もそうでありそのために動物を飼っていたこともあった。米糠や麦の麹や大根の葉を食べるニワトリは糞によって田畑の土をこやす
米の余り物としての糠でも捨てられる大根の葉でもそれが今度はニワトリが食べて糞も肥料になり役に立つ、人間の糞も貴重な肥料になっていた。それが自然のサイクルの中で生きていたものの自然に身についた智恵である。ニワトリは今のように工場の檻の中にはいない、まさに庭の鳥であり庭を歩き回っていたのがニワトリなのである。それが自然な姿である。卵の生産が工業化されたとき人間も同じように工場という檻のなかでロボットのように働かされるようになった。それがナチスのガス室送りともなった。動物のこうした扱いまた必ず人間にもなされることなのだ。それが文明化でありニワトリにしたことは人間にも成されるのだ。
ネパ-ルで卵も食えないかとと驚いたが日本も卵も食えない貧しい国だったのである。ただ卵がないからすぐにインドから輸入するというのもやはり現代だからである。あんな山の中でも外国から物は入ってくる。金さえあれば買えるということがある。ネパ-ルで出稼ぎが多いこと書いたが日本だってその当時働く場所を求めていた。それが満州だとかブラジルだとか海外に移住が奨励されていたことでもわかる。日本では卵すら食えなかったから外国で農業を始めようと移住したのである。出稼ぎ者を多くだす国や地域は貧しいのだ。フィリピンもそうだし日本でも青森がそうである。
こういうふうに昔をふりかえると卵が食えること自体まだ豊かだとなる。昔の貧乏は今の貧乏とは違う、生半可なものではない、それが卵を食えないことに象徴されていたのだ。

終戦直後くらいを描いた文学などを読んでみて。
ちゃんと卵かけご飯が御馳走だったって描写があるから。
景気付けに思い切って奮発して家族一名にやっと食べさせてやって
それを食べ残した残りの卵かけご飯を、他の家族が後でこっそり食べたりするんだぜ。
そういう描写を読んだことあるよ。

そもそも日本人の食はご飯が主だった。オカズは味噌汁とかタクワンくらいであとはタンパク質は多少の魚類などであったのだろう。ただサシミを食える人などは金持ちだけだった。何故なら私の父は病気になりサシミを食えるようなったが食いたくない、病気で食欲がないから食えないと言って死んでいった。農家ではニワトリを飼っていたから卵を食えたし意外と町の人より食は恵まれていた。自給自足経済が基としていたから農家は有利だったのである。要するに昔の栄養源は米を一杯食うことでありオカズは付け足しにすぎない粗末なものだったのである。
派遣とか今の経済困窮も現実大変なものなのだが戦前から戦後の困窮した時代から比べるとましのように思う。貧困の度合いが比較にならないのだ。だから派遣は好きでなったのだから同情する必要はないとか卵かけごはん食えるんだからいいじゃないかとの意見も多く常に出てくる。他で何か無駄なことパチンコとかタバコなどに使っているとか指摘される。現代の経済の基準からすると貧乏なのだがこれを戦前戦後のまもない時代と比べると贅沢じゃないかとなる。卵一つの問題でも昔を歴史をふりかえると見えてくるものがある。卵を食えることは幸せであり贅沢だったということを今かみしめる必要があるのかもしれない、しかし人間は贅沢になれるとどうしてもいくら過去のことを言っても通じないのだ。人間は体験からしか学べないところがあるから問題なのである。
posted by 老鶯 at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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