雇用状況の悪化は、自動車業界の派遣社員など弱い立場にある労働者を襲い始めています
会社から突然、解雇を言い渡された派遣社員の悲痛な叫びを取材しました。
埼玉県上尾市のワンルームマンション。仕事を終えた男性のこの日の夕食は、玉子かけご飯でした。 「(Q.ほかにおかずは?)たまにの贅沢ですよね。ほとんど卵かけご飯かな」(荒井健太郎さん)
荒井健太郎さん(27)。職業、派遣社員。しかし先月、派遣会社から今月18日付けでの解雇を 言い渡されました。 雇用状況の悪化は、自動車業界の派遣社員など弱い立場にある労働者を襲い始めています。
http://news.tbs.co.jp/20081209/newseye/tbs_newseye4013485.html
「ええ、卵食っていなかった、どうして」
「卵は贅沢だから病気のときくらいしか食っていない」
「卵なかったのか、卵はあったはずだけどな」
「農家にはあったから農家の人は食っていたよ、ただ売らなかっただけだろよ」
「そもそも日本人は卵食っていたのか?」
「江戸時代の文献にすでに卵も焼いて食っていたとあるが一般的ではない」
「ニワトリって古代からいたから卵を生んでいた、その卵を捨てるわけはないからなんらか食っていたよ」
「卵をごはんにかけて食うのは日本人だけらしいよ」
「生だとバイ菌が入ることあるから外人は生では食わないよ」
「日本人は刺し身のように生で食う習慣があったからそうなったのか」
「今になると卵すら食えない食事って考えられないんだよ」
「でもさ、子供のとき玉子焼きが好物になってはじめて玉子焼きを食うことが一般化したんだよ、だから「巨人・大鵬・玉子焼き」というのが当時もてはやされた。玉子焼きはやっとその頃みんなが食えるようになったんだから卵はそれまでは贅沢品だった」
http://musubu.jp/jijimondai26.htm#egg
米の余り物としての糠でも捨てられる大根の葉でもそれが今度はニワトリが食べて糞も肥料になり役に立つ、人間の糞も貴重な肥料になっていた。それが自然のサイクルの中で生きていたものの自然に身についた智恵である。ニワトリは今のように工場の檻の中にはいない、まさに庭の鳥であり庭を歩き回っていたのがニワトリなのである。それが自然な姿である。卵の生産が工業化されたとき人間も同じように工場という檻のなかでロボットのように働かされるようになった。それがナチスのガス室送りともなった。動物のこうした扱いまた必ず人間にもなされることなのだ。それが文明化でありニワトリにしたことは人間にも成されるのだ。
ネパ-ルで卵も食えないかとと驚いたが日本も卵も食えない貧しい国だったのである。ただ卵がないからすぐにインドから輸入するというのもやはり現代だからである。あんな山の中でも外国から物は入ってくる。金さえあれば買えるということがある。ネパ-ルで出稼ぎが多いこと書いたが日本だってその当時働く場所を求めていた。それが満州だとかブラジルだとか海外に移住が奨励されていたことでもわかる。日本では卵すら食えなかったから外国で農業を始めようと移住したのである。出稼ぎ者を多くだす国や地域は貧しいのだ。フィリピンもそうだし日本でも青森がそうである。
こういうふうに昔をふりかえると卵が食えること自体まだ豊かだとなる。昔の貧乏は今の貧乏とは違う、生半可なものではない、それが卵を食えないことに象徴されていたのだ。
終戦直後くらいを描いた文学などを読んでみて。
ちゃんと卵かけご飯が御馳走だったって描写があるから。
景気付けに思い切って奮発して家族一名にやっと食べさせてやって
それを食べ残した残りの卵かけご飯を、他の家族が後でこっそり食べたりするんだぜ。
そういう描写を読んだことあるよ。
派遣とか今の経済困窮も現実大変なものなのだが戦前から戦後の困窮した時代から比べるとましのように思う。貧困の度合いが比較にならないのだ。だから派遣は好きでなったのだから同情する必要はないとか卵かけごはん食えるんだからいいじゃないかとの意見も多く常に出てくる。他で何か無駄なことパチンコとかタバコなどに使っているとか指摘される。現代の経済の基準からすると貧乏なのだがこれを戦前戦後のまもない時代と比べると贅沢じゃないかとなる。卵一つの問題でも昔を歴史をふりかえると見えてくるものがある。卵を食えることは幸せであり贅沢だったということを今かみしめる必要があるのかもしれない、しかし人間は贅沢になれるとどうしてもいくら過去のことを言っても通じないのだ。人間は体験からしか学べないところがあるから問題なのである。