2006年12月15日

石の墓群

stonetombs1.jpg

裏山に冬の日さして石一つ

故郷に住みて知らざりき今日たずぬ冬日さし暮る石群の墓


上真野のグル−プホ−ムの「田園」とあるから回ってみたら老人が玄関でひなたぼっこしていた。ここは最近できたものだろう。こんなに近くだと通うこともできるからいいと思った。そこを通って曲がった道にこんな石群の墓があった。こんなに密集しているのはめずらしい。わからないところに昔の墓がある。これはいつの時代のものか?ここでも実際は江戸時代のはまれである。明治時代からの多いのだ。古い感じはするが明治になってもなかなかいい墓を建てることはできなかった。今だとみんな墓を建てるがそれでも都会だと土地を確保したりと墓を建てることがむずかしいからだ。墓と財力は関係している。当時はみんなこんな粗末な墓が多かったのだろう。こうした墓は時代もわかりにくい、やはり墓は記録でもあるんだよ、それがわからないからただの石群になってしまう。郷土史研究でもこの墓の時代とかわかれば何かわかるんだがめんどうだしわからないからだめだ。

最近栃窪には常磐高速道の工事が急ピッチでやっているのでうるさい、景観も変わってしまう、またいつも通う土手の畑の道にドコモの通信の鉄塔が建ったのだ。これでがっかりした。景観がまるっきり破壊されてしまったのだ。もう少し景観を考えて建ててもらいたいが抗議する人もいないから景観が一番簡単に破壊されやすいんだよ、そして景観が壊されると景観は心に影響するから経済的効果より大事なものなんだよ、携帯はドコモは必要でももう少し目立たない所に建ててもらいたかったのにがっかりした。高速道路といい携帯の通信の鉄塔といいこれも現代を象徴するものだった。畑のなかに通信の鉄塔が立つのも確かに時代を象徴していた。畑で働いている人は
「これは何だ」「携帯の通信の電波を伝える塔だよ」「ああ、携帯か、携帯ならオレももっているよ」「孫に連絡するかな、ああ、この塔から電波が伝わってゆくのか・・・」とかなるからこれが今の時代だ

裏山があるということは一つの贅沢である。裏山をいつも散歩できるのうらやましい。また裏山があれば心落ち着くだろう。人間は住む場所によってかなり影響される。人間も環境が悪ければ心も粗雑になってしまうだよ、荒れてしまうから環境の影響は大きいんだよ・・・
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