2005年12月29日

冬の雁

gooseline1.JPG


隊列を変えて素早く冬の雁

gooses in winter
changing a line of flight
going away in the distance


電車行き夕べの空を冬の雁

足音の確かに一人寒夜かな


The footstep which he follows
alone at a quiet cold night


冬の雁が一群は素早く隊列を変えて飛びまた一群は夕べの空を飛んで遠くに消えた。冬の雁というとあまり季題になりにくい、でも今年は寒いから冬らしい冬だから冬の句が生きていることに気づいた。まさに冬は本当に寒いときこそ冬なのであり冬の景色が生きてくるのだ。最近列をなして飛ぶ雁を見ないが今日は数十羽列を成して飛ぶ雁を見た。電車が走る夕空に一列になって飛んでゆく冬の雁を見て気持ちよかった。寒い澄んだ空に飛んで行く雁は何かひきしまって美しい、冬は空気が住んで全体を美しくしていることに気づいた。近くに火力発電所の煙などが見えるのだがここはまだ空は澄んでいる。それでロシアは確かに極寒の地だが自然はこのようにひきしまり澄み渡っている。その空も大きく大地も広いから自然の厳しい美が生々しく存在している。北海道辺りでも零下二十度とかなると塵までダイヤモンドダストとかなるから塵まで宝石に変えてしまうのが寒さなのだ。もちろん冬の星も一段と美しい、やはり暖冬というのは自然現象としては異常であり自然の美をそこねたものだったのだ。

この寒い静けさのなかで一人の足音を確かに聞いた。現代はあまりにも多数の足音、騒音となっておしよせている。しかし本当にそこに聞くものがあるのか?みんな雑踏、雑音となって消えてしまっている。この寒い夜にこそ一人の足音こそ聞くべきである。一人の存在感を確かめるべきである。烏合の多数ではなく一人にこそ本当の存在感がありその一人こそ自然に融合して自然に感応する存在なのである。大勢に感動すべきではない、その一人の足音が確かに聞こえることその存在感に感動すべきである。alone at a quiet cold nightは機械翻訳だったけどぴったりだった。機械翻訳も役立つ時がある。

この一カ月ずいぶんこの「今日の一句一首」は前とは違い長く書いた。やはりタイトルごとに別れているからそこでしぼって書くのが違っていた。一タイトルとして要約するように書く、また一タイトルとして書く、こういう書き方は今まではない、短いから書くことを積み重ねることができる。あとから検索するにも整理されているから便利だからメモ帳として使っている人がいるのもわかる。プログも外からキ−ワ−ドでアクセスされるようになるとアクセス数が増えてくることは確かである。今20-30だがこれでも時間的には二十四時間かなりアクセスされているのだ。アクセスはやはり何かが回っている、プログも生きているということになるからみんなアクセスにこだわるのだ。
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